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花見に行って来ました

花曇りの日曜日。近くの河川敷に桜の花を眺めに行って来ました。

 

春の風は強く、嵐のような突風が吹き荒れていましたが、桜の花はまだ散るまいと頑張って咲いていました。あいにくの天気ではあったものの、ちらほらと花見をしている人たちが。皆さん朗らかな顔をしながら、春の訪れを楽しまれているようでした。子供はあまり興味は無さそうで、桜の下を走り回る方が楽しそうでした。

 

今年の桜は…なんて言いながら、去年とそれほど大きな違いは無いはずなのですが、今年の桜を楽しんだと言うことに価値があるんだと改めて思いました。近しい人達と春の空気を共有し、同じ時間を過ごす。立ち止まって花を見上げるだけで季節が過ぎていく事を感じ、変わるものと、変わらないものに想いにふける。

 

桜はいいものですね。

 

(花より団子の方は、関係ないけどね)

 

おしまい。

 

 

 

会社と社畜と私

昇格。格式・地位などが上がること。また、それを上げること。

私は数年前に課長昇格試験を受けました。元々昇格したいという意思は希薄だったのですが、平均よりは高い評価、おっさん的な年齢、組織の年齢的な構造、適当な人がいないといった理由(自己分析)から昇格試験に推薦される事になり、半年にも渡る厄介な課題と最終プレゼンをこなしましたが…結果落ちました。

残念だと思われるかもしれませんが、この結果に私自身は正直ホッとしました。もし挑戦しなければ社内的な評価は単純に下がるし(自己分析)、ちっぽけなプライドを満たせない。でも、責任と共に残業が増大して今までよりも社畜化が進むことに対して乗り気ではなく頑張れるか不安でした。

 

 今、働いている部門での課長級はかなりの社畜度です。マゾとしか言いようがないでしょう。不足する売上予算に対する圧力に立ち向かい、プロジェクトの火消しを自ら行い、鎮火まで報告する責務があります。世間的にも課長ならばよくある事なのだと想像するのですが、正直これはシンドイなと感じていました。

理不尽に次ぐ理不尽が発生する中、部長からあの手この手で「課長なのだから。他にできるヤツがいないから。会社に貢献してくれ。」と責任を押し付けられ、「何故できない…理由を言え。お前のやり方が悪い。もっと早く報告しろ。」と叱責される姿を見ていると、この言葉しか出てこない。きっつー(©フミコフミオ氏 (id:Delete_All))

 

私は完璧な社畜にはなれなかったのです。「昇格を手にする事で得られる報酬、守られるプライド」と比較して、「大量の残業で時間を奪われ、重い責任により精神を奪われる」事を天秤にかけてしまったのです。社畜側に振れていた天秤は昇格しなくなった事で思い切り反対側に振れてしまいました。本当に良かった。真人間になれたような気がした。社内では精神を奪われ帰らぬ人となった方は多数いるため、ちょっと考えれば他人事ではありません。「自分は違うだろう、そうならないだろう」と言うのは社畜超人化が進み切っているだけでしかないのだと思います。残業大変だわーで乗り切れる程、甘くはない。

 

社内での立ち位置をキープしながら完全な社畜を装いつつ、手を抜いていける40代を過ごして行きたい所存であります。合わせて逃げ場の準備も怠らないつもりです。

 

おしまいに、試験に落ちた時の理由なのですが「昇格させる定員を超えたから。」という遠回しな理由を言われました。きっつー。その理由の方が余程やる気を削ぐってのわからないのかね。最初から定員だけやらせればいいやん…。

自分の中では、端々で他のメンバーよりも社畜度が低かったためだと分析しています。ちっぽけなプライドでよかった。「愛する会社のため、毎日社畜でいたいから~」とはならなかったのです。私には社畜度マックスをアピールする意識高い系は似合わない。

 

新学期の風物詩

昨日は真新しい服を身をまとった学生さんたちがワラワラと電車内を賑わせていました。

 

若い、新しい、フレッシュ!人生の終点に向かって電車を走らせている我々にとっては本当に羨ましい。そして、願わくばこの満員電車から、降りて欲しい。

 

こちらは何年も通っているオッサンなので、これが毎年の風物詩である事心得ておりますが、それでも辛い…。混んで圧縮されるという物理現象だけではなく、若者たちが発する良くわからないキラキラ感。疲れたサラリーマンを哀れ見る視線。乗車が不馴れである事による遅延。いちいち発せられる、「この電車混みすぎだよね。」発言。(お前らが増えたんだろ!)

 

この状況がGWを越えた段階で終息していく所までが風物詩。混み具合と共に初々しさと輝きか失われていく事はわかっているのだけど。そしてスマホでゲームに興じる方向に向かって行き、「学校行くの面倒だよね」と、通学時間が無駄なものであることをひしひしと感じるのだと思う。

 

すでに仕込みは始まっているのです。まだ社畜になってないウチから面倒なこと、無駄だと思うことに慣れてしまえば、人生の大半で当たり前の事になっちゃうんだよ。満員電車を乗り切る術も同じ事。そんなに変わらない。そして、高校生がこの経験を糧に大学生になった時、意識高い系になるか、さとり世代になるか解らないけれど。

 

それでも、人生の目的地を探しながら電車に乗っている学生さんは羨ましく思う。どの時点で現実という駅に降りるのか、あてもなく終点に向かうのか、ひたすらトンネルを進むのかわからないけれど、希望があるだけで羨ましい。