老後が寂しいから結婚しておくべきなの?

「年老いて独り身でいるのは寂しいから、結婚しておけば良かった。」

 

そういった内容の記事を見かけたのですが、一言で言うならば、可哀想ではなく残念だなと感じました。この人はどんな人生を送ってきて、寂しいという言葉を発するのだろうかと思ったからです。

 

こういう話が出るときをイメージしてみると、決まって男性です。おばちゃんがメソメソしているイメージはあまりありません。例外は多数あると思いますが、そこには理由があると思います。

 

そもそもこういうネタに対して「どうして寂しいのか」が問題ですよね。恐らく、自分に対して興味を持ってくれる人がいないから寂しいのではないかと思います。会社に勤めている間は会社関係の友人もいるし、体力もあり自分で好きな所へ遊びにも行けたのでしょう。しかし、退職して友人と呼べる人もいなくなり、好き勝手に使えるお金も無くなってしまった後は、退屈になり孤独感から寂しいと思うようになったのだと思います。それは何となく想像できる事ではあるし、誰からも相手をして貰えない孤独感は辛いものがあると思います。

しかし、結婚していても寂しい人はいるだろうし、残念ながら離婚してしまう人もいるでしょう。最も悲しいパターンでは死別もあり得ます。結婚している、結婚していた事が必ずしも寂しさを紛らわす事には直結しないのではないでしょうか。加えて、結婚した夫婦には子供がいると思われがちですが、それは単なる固定概念であって、何らかの理由で子供ができなかった夫婦や最初から子供を望まない夫婦がいるのだからのだから、子供がいるはずだかと決めつけるのは筋違いです。

 

やはり結婚していない事だけが理由じゃないですよね。

 

縁が切れるのは子供の頃から

個人毎にバックグラウンドは違うので、勝手な思い込みでしかありませんが、人生の大半を仕事を優先してきた事が、寂しい状況になってしまった原因ではないかと思うのです。仕事が理由で生まれた関係は、仕事が繋いでいます。強いように見える繋がりも何かの切っ掛けで部署が変わってしまえばすぐに疎遠になります。毎日毎日、下手をすれば家族よりも多く顔を合わせたとしても、縁が切れるときは一瞬です。

 

自分の過去を振り返ると、実は子供の頃から経験している事でした。

それは学校のクラス替え。とても仲が良かったとしても、クラス替えで疎遠になる事は多いです。お互いに新しい友達ができると、関係は希薄になっていきます。学校と会社の違いはあれど強制されて人が集まる空間なのは同じ。似たような現象が起こっているのだと思います。強制された状況で作られた関係は、強制されなくなった段階で揮発していくように感じるのです。 

 

それでも結婚には強制力がある

結婚は自分たちだけではなく、多くの関係者がいます。お互いの親族はもちろん、友人、知人だけではなく、婚姻届の提出先となる役所、会社へ現況報告など事務的な要素も強く自分達だけで好き勝手に宣言しても認めて貰うことはできません。そのため、心理的にも法的にも一定の強制力があると思います。それを望ましい事と考えるかどうかは人それぞれなので断言する事はできませんが、この強制力により家族の関係を維持しているのであれば非常に寂しい状態ではないかと思うのです。

 

強制力に甘えて人間関係を作っていないか

私は人付き合いは苦手です。苦手と言っても、愛想笑いや話を合わせる程度のコミュニケーション力は備えていたので生きていく上では困りませんでした。困らないからこそ、嫁との出会いが無ければ独身のままだった可能性もあります。

会社でいくら世間話をしても、プライベートに踏み込んだ話をしても、居酒屋で意気投合したような話をしても、どこか一線を置いているように感じるのです。それは自分の心持だという事もわかりますし、相手に対する興味や愛情(広い意味で)が欠けているからなのだと思います。つまり会社と言う強制力が働かない状況に陥ったら誰かに声をかける事はほとんどなくなります。仕事上の接点がない人にいきなり話しかけるという事はほとんどありません。漫画のように曲がり角でぶつかったとしても友人関係になる事もありません。電車で居合わせた美人に対して美人だと思ったとしても「あなたは美人ですよね。」なんて言いません。

でも、仕事が理由で会話をした後は、何となく世間話もできるようになりますしお互いの距離感を見つける事ができるようになると思います。これは大きな違いです。

 会社や学校などの組織が作ってくれた場で話ができるようになる事と、プライベートで深い人間関係を作る事がうまくなる事とは違う所にあると思うのです。それを履き違えていると「友人が多いから寂しくない」というズレた感覚に陥ってしまうのではないでしょうか。たまたま友人が多いのか、いつまでも友人でいられるのか。

 

終わりに

 「年老いて独り身でいるのは寂しいから、結婚しておけば良かった。」

と言ってしまう人は、結婚してしまえば深い人間関係ができると勘違いしているように思えてしょうがありません。結婚すれば強制力が働くから自分の事も面倒を見てくれるだろうと思っているのかわからないですが、結婚したとしても家族の事について喜びだけではなく、苦しい事や辛い事も共有してこそ老後に助け合える家族になるのだと思います。苦労して深い人間関係を作る事が出来ない人ならば、結婚しても人間関係を築けていたのか疑問に思います。(熟年離婚とはそういう事なんじゃないかなと)

 

私は「老後に結婚して良かった。」というと思います。それは「家族がお互いの事を思う関係を長い間積み重ねられた事」に対して発する言葉ではないかと思うのです。それはただの友人関係では築く事のできないものですから。国の制度としての結婚はさておき、深く相手の事を思う関係は性別を問わず、形式を問わず作る事は可能だと思います。結婚するという分かりやすい目標や努力は良いと思いますが、苦楽を共にできる相手を見つけるという事が本質なのではないかと思うのです。

 

誰しも最後は一人で死んでいくのだから、「良い人に巡り合えた」と思える事が幸せなのだと思うのです。

 

 

 おしまい。