興味を持てる事が稼ぐ力に繋がるって事だと思う


エンジニアは業務時間外でも勉強するべきなのか - 株式会社アクシア

 

記事を書かれている方の人物像や会社の状況は存じあげないのですが、内容に大半について共感しました。

 

特に…

スキルがないならマネジメントで勝負!は迷惑だからやめてねw

この言葉はきつい言葉ですが、大半の会社で存在していると思われる名ばかり管理職が該当するように思います。日本ではプログラマーの単価が安いのでマネジメントの方が単価が上がるから、嫌でも管理職扱いになる人は多いのではないかと思います。私もSEをやっていますが、このしがらみの中で仕事を回しているという事が実情です。名選手が名監督ではないというのは、頼りにしていた上司の口癖でした。プログラムが抜群に上手くてもコミュ障ではマネジメントはできないし、愛想笑いが苦手だったら客先に出向くのも難しいというのが現実です。古い人間はそれがわかっていないから困るのですが。年功序列と昇給、後継者などなど。愛社精神が会社を潰すという現実を直視できていないのではないかと心配してしまいます。

 

自分の価値

冒頭の記事の内容は、勉強をしないと、自分の価値が相対的に下がっていくという事を示唆されているように思います。ここでいう自分の価値とは金を稼ぐ力の事です。

いくら稼げるのか(稼いでいるのかではなく)というポテンシャルは、会社組織の中で会社を運営していく上では、とても重要なファクターであるため、より正確に判断したいと考えるのが普通だと思います。外的要因が何も変化しないのであれば、経験を積むことにより価値が上がる事はあれ、下がっていく事は無いと言えますが、外的要因が非常に流動的で変化に富んでいればいるほど、自分の価値が下がりやすい環境にあると言えます。

お笑い芸人を例えると分かりやすいのではないでしょうか。

数知れない芸人さんの中で一発屋で終わる人も数多くいます。流行りに乗るスキルが長けていたか、たまたま時流に乗れた人なのだと思うのですが、それは運の要素もありますが、運に乗るためのスキルがあったとも言えますよね。流行りに乗るような芸をやっていたからこそ一発屋でも表舞台に立つことができたのだから、一発屋にもなれない数々の人が努力し続けている中で価値のあるスキルを磨いていたという事もできるわけです。もちろん流行りに乗っている時のスキルは過大評価されますし、異常に高い価値を付けられるわけですが流行りが終われば何も残りません。過大評価されたが故、その評価を超える何かを持たなければ価値がないと判断されてしまうからです。流行りに乗って得意になっているスキルは廃れてしまった時に潰しが利かないという事になります。

逆に、お笑い芸人から司会者に転身する芸人さんが多くいます。大御所と言われる芸人さんが同じ芸で飯を食うというのがいかに難しいか分かります。いくら何でも同じ事の繰り返しはマンネリになりますし人が世の中の評価も徐々に変わっていきます。その中で話術を活かして司会者になる事で新しい評価を得てお笑い芸人ではなく司会者としての地位を確立していくというのが最近のステップアップなんですかね。もちろん、ひな壇芸人は自分のスキルを理解し自分のスキルを活かしているのだからテレビに出続けている人には、何かしらの才能とスキルがあり役割を与えられているのだろうと思います。

 

結局は流行り、ニーズに合わせたスキルが価値を増大させるという事に繋がるという事なのでしょう。自分の代わりが生まれるまでに新しい流行り、ニーズを捉えたスキルを磨けなければ没落していくし、新しいスキルを見せる事が出来れば、そちらのスキルで飯を食べていく事ができる。そういう事なのだと思います。逆に言えば自分の能力・スキルが上がったとしても、価値が下がる場合があるという事でもあります。切れのある毒舌が得意になったとしても、それが流行っているうちは価値がありますが、流行りが終われば毒舌を吐く嫌な奴になってしまいます。一般人でも流行りの手法に慣れスキルを磨き上げたとしても、逆にカチコチ頭になってしまって次の流行りの手法を磨くことができないとなれば、磨き上げたスキルにより価値を下げてしまう事に繋がります。

 

 勉強と趣味の境目

私が強く感じるのは、スキルアップが趣味の延長と思うのか、仕事の延長と思うのかという所です。その会社の事業に関して何か思う所があり入社したのであれば、関連する技術に対して興味が湧いて当然だと思うのです。全く興味が湧かないのであれば、別の会社に行って興味を持って仕事した方が楽しい人生になるように思います。私の会社にもプログラムも知らない、パソコンも知らない文系の新人が入ってくる事があるのですが、正直舐めすぎだなと感じますし、人事に文句を言いたくなります。会社が人を育てるという事と、個人が育つという事は全く別物だという事を無視しているように感じるからです。

会社が育てる人材は会社が向いている方向に伸ばします。あたかも、そちらに太陽があるように。そちらが正解であるように。それは間違っていないし、そうしなければ会社としての方向性を見失い強いパワーを出す事は出来ないと思います。しかしその弊害として、会社は会社、プライベートはプライベートという明確な区切りを生んでしまうと思うのです。だって、個人の興味と違う事を教育されても、それ以上の興味や関心をうむはずがないですよね。もっと知りたいという知的欲求に繋がっていかないのではないでしょうか。プログラムもパソコンも知らない(=興味のない)人がIT会社の教育に興味を持つのでしょうか。甚だ疑問に思うのです。

 

勉強は「もっと知りたい」が基本だと思うのです。新しい事やこれから流行りそうな事、人生の役に立つ事・・・等々。仕事だから勉強しておいた方が良いというのは会社の都合であって、「もっと知っておいて欲しい」を個人に押し付けているに他なりません。しかし、自分も興味があり、会社もそれを後押ししてくれるのであればお互いに良い関係を築く事ができます。だからある程度は会社の方向と個人の興味は同じ方向を向いていなければ良い関係を築く事はできないのだと思います。

 

おわりに

ただガムシャラに勉強すればいい事があるなんてのは幻想で無駄な努力になる事が多いと思います。努力は報われないと思いながら頑張っている方が幸せに生きられるように思います。それは努力する人を卑下しているわけではなく、努力に嵌りすぎると周りが見えなくなる可能性が高いからです。自分の価値(金を稼ぐ力)を持つための努力が勉強であるならば、常に冷静に周りを見渡しながら必要な勉強をするべきだと思います。つまり、自分の興味がある事を軸にトレンドになっている事を優先的に勉強するようなやり方が良いのではないかと思います。そうしないと稼ぐ力には繋がらないからです。

もし、仕事に関係しそうな事に個人的な興味が持てないのであれば、10年後はきっと何も残らないでしょう。「どうしても勉強しなきゃいけないのか」と思うよりは自分が興味を持てる仕事を見つけた方が良いのではないかと思うのです。

特に、まだ未来がある若者は・・・石の上に3年なんて昔の話だから。

 

 

 

おしまい。