子供の頃の夢とYoutuberになりたい子供

私の子供も例外なく(?)YouTuberになりたいと言い始めました。

まだ年長児なので暴力性の高い動画や倫理観を疑うような動画が選択されないように注意しているため、視聴対象はゲーム系が大半です。子供心に楽しそうに話しながらゲームをしているYouTuberは何とも魅力的なのだろうと思います。(大人的には動画を作成し続けるYouTuberを想像するとかなりの苦労があるのだろうと思います。)

 

子供に理由を聞いても意味がありません。好きな事や嫌いな事の大半は感覚でしかありません。子供はナゼナゼ聞いてきますが、逆に聞き返すと答えはないです。

  • なんで、好きなの?
  • なんで、そう思うの?

大半の答えは「何となく」です。いつ学んだのか、いつ考えたのかは重要ではなく直感的な感情や周りの雰囲気、親からの期待などを適当に決めて自分の考えとして扱います。その時に目に入った対象であるスポーツ選手やアイドル、電車の運転手やお笑い芸人など楽しそうと思った事が「やりたい事」になるだけです。それを大人が勝手に夢とか将来の仕事とか言ってしまうだけで、子供たちにとって深い考えはありません。何となく思った事に対して成長と共に自分なりの理由の肉付けをして、子供の頃の夢が出来上がっていくのだと思います。

(※この文章では子供の頃の夢=なりたい職業として書いています。)


子供の頃の夢が叶ったという話を聞きますが、子供の頃の夢と叶った現実はどれほど重なっているのでしょうか。子供から大人になるまでの過程で紆余曲折あったでしょうし、辛い事もあるけれどそれよりも楽しい事が多いから頑張ってきたという事だと思います。子供の頃は知らない事が多く、知らないが故の万能感を持っているので「よくわかんないけど、自分ならできる。」と思うでしょうし(それが長所でもありますが)それが、自分に合っているかどうかは成長するまで分かりません。それらの多くは語られず夢が叶ったと言われるわけですよね。

 

さて、YouTuberになりたいという夢を持った子供たち。YouTuberになる事は簡単です。自己満足でやっている分には「自称」する事は可能です。やりたい事だけやって生きていく事は可能かもしれない。でも、大人になってから「夢が実現した」と言う場合、自己満足だけではなく、他人から認めて貰える状況である事が必要です。そして、他人から認められるために簡単なのは「生活可能な収入が得られるようになっている事」でしょう。つまり仕事として成立している状況まで行かないと、夢が実現した事にならないと思います。

 

子供の頃に作られた夢は「自分のため」しかありません。だから仕事とは相容れない要素が盛りだくさんです。有名になりたいとか楽しく生きたいと言った好きな事だけやっていくタイプの話には、「誰かの役に立つ」という考えが欠如しています。大人から見て、一般的な職業でなくてもスポーツ選手に違和感が無いのは人に感動を与えて対価を得るというスキームに違和感がないからです。感動を満たす事は人の役に立つという事を認めているから。パチプロとかジゴロとか紐になってもお金を稼げるでしょうし楽しく生きられるように思いますが、(子供の頃の夢としては、絶対出てこないですが。)大半の人は真っ当な仕事とは認めないでしょう。また、ホステスやホストは需要があって必要な職業なのですが、表立って推奨される職業ではないと思います。

 

子供の頃から職業=仕事が人のために必要である事を教えていく必要が有るのではないでしょうか。楽しそうだから、カッコいいからという理由だけを前面に出して夢を語らせてはいけないように思います。幼い子供達が煌びやかなスポーツ選手でもアイドルでもYouTuberでも夢にするのは全く構わないのですが、その裏側にある「人の役に立つ事をして生きていく」という所に目を向けられるように少しづつ教えていく必要が有るのではないでしょうか。やりたい事だけやって生きていくためには、センスも努力も必要なのだから。

 

最近はYouTuberが職業として認められ、認知されたんだなと強く感じます。その反面、未来は電車の運転手とかタクシーの運転手とかAIにとって代わられて不要になっていくのでしょう。昔はあったけど、無くなってしまった職業も数多くあります。人が欲しがるものが変われば、職業も変わっていくのは必然なのですが、「人を楽しませる職業」と言うのは、いつの時代を通しても変わりがありません。子供たちに人気な夢として、「人を楽しませる側に回りたい」と思う心理はこれからも変わる事は無く、時代に合った名前の夢として残り続けるのでしょう。

 

 

 おしまい。