生産性を上げるのは誰か

生産って言うくらいだから何か生み出している

 

生産って言うとサービスや付加価値を生み出す事だそうです。つまり誰かに必要とされるものを作り出す事と言えます。逆に言えば誰にも必要とされないモノづくりをする事は生産ではないという事ですね。ネットの世界では非常にクオリティが高いものを趣味でアップロードし称賛を得ている方がいますが、作りたい人と楽しみたい人を自然とマッチングさせる力の強さは計り知れないと思います。趣味の世界や無料の世界での広がり方が凄まじい反面、有料になると大きなハードルが立ちはだかります。無料であれば誰かが必要として貰ってくれるため生産した事になりますが、有料になり誰も買ってくれなかったらゴミ扱いです。これは生産した事にならず自己満足出来て良かったというだけの事になります。(このブログもそういう事ですけどね。)
このあたりが生産性を考える時に重要なのではないかと思うのです。

 

誰が必要か。必要とする人がいる事

 

仕事とは何かを提供してその対価を貰うという活動です。ただし材料的な等価交換では無くて付加価値を利益として乗せる事になります。材料的な等価交換だとしたら、紙に書いた絵は誰が書いたとしても紙の値段にしかなりません。本当に価値があるのは絵の出来栄えであり、絵に対して対価を払うという事になります。30年前のソフトウェアはハードのおまけだと言われるほどでした。目に見えず、触る事も出来ず、ハードが無ければ役に立たない…まさに材料が無いから価値を認められにくい存在だったのだろうと思います。価値を認める事が出来る人は、それを作る事がどれだけ大変なのかを感覚的に認識可能で自ら使う事が出来る人に限られてしまうのです。まぁ、売る側も工夫が必要なのですが、携帯の使用料も同じ事でしょう。通信している事が目に見えませんでしたが今はギガで目に見えるようにしました。サービスと目に見える数値を合わせる事で付加価値を認識しやすい状況を作っていると言えるのではないでしょうか。

実現する手段は何でもいいんです。必要とする相手に必要とする結果を出す事が出来れば、それが生産する事に繋がるのです。

 

会社から生産性上げろと言われても

 

会社から生産性を上げろという指示が出る事があります。個人あてに。でも、個人として生産性を上げる理由は何でしょうか。会社で働く時間は決まっているし、早く仕事をしても早く帰れるわけではないでしょう。会社に貢献して上司から褒められる事があるかも知れませんが、会社のたった一人ができる事なんて限られています。社員全員が頑張れば…なんていう人がいますけど、それをやる位ならツカエナイ人をレイオフした方が余程マシです。不思議な事に給料が固定されているのであれば、個人で生産性を上げる事は自分の時間単価(時間当たりの価値)を下げる事になってしまうのです。(ボーナス査定とか諸々あるかも知れませんが。)こんな単純な矛盾を解消する事なく社員に命令する上司は思考停止も甚だしいと感じます。社員は会社のためを思って働いていると勘違いしている上司が多すぎです。単なる契約関係でしかないのに…。私はよほどチームで生産性を上げるという指示をした方が現実的だと思うのです。働き方改革も総合的に考えると個人単位で考えてもあんまり意味が無くて、チームとして如何に改善していくかを考えるべきだと思います。

もちろん個人として生産性を上げた方が良いという事は言えます。何故なら空いた時間を別の事に使う事が出来るからです。でも…会社には黙っておかなければなりません。下手をしたら「あいつは仕事が速いから仕事を頼みやすい。」なんて評価が出た日には恐ろしい状況になるのが目に見えています。本当の意味で無駄な仕事を断り、必要な仕事に注力する人であれば問題は無いと思いますが、大半の人には頼まれた仕事をあっさり断る事は難しいと思います。だから、早く仕事が終わっていても忙しいフリをしておく必要が有るのです。

 

「とりあえず」コストが高すぎる

 

生産性を下げる要因として「とりあえず作って」が大問題だと感じます。「とりあえず」という指示が来て作ったものは「とりあえず」のクオリティで完成するため、どのくらいの価値があるのかわかりません。若しかしたら必要のないもの、使われないものを作った事になり生産した事にならない場合もあり得ます。忙しくなればなるほど、このとりあえずコストが上がっていく傾向にあり、とりあえずと言われたら本当に必要かを自問自答して納得してから仕事を始めるべきだと思います。作った方は言われたとおりに作ったのだから対価は貰いますが、作ったモノがお蔵入りしたのであればモチベーションは下がる一方でしょうし生産性って何だろう?という疑問が残る事になるといえます。

 

手抜きをする事が生産性向上になるのでは

 

基本的に手抜きを考えたら、もっと生産性は上がると思います。「10%効率化しましょう。」と「10%手抜きをしましょう。」なら手抜きをする方が自由な発想が可能だし、気楽に考える事ができると思います。手抜きをしたら成果物の質が落ちるかも知れないけれど、その成果物は残業代を減らして10%安くできたのだから結果オーライになるのではないでしょうか。手抜きをする一番良い所は面倒な事を減らすという事です。面倒な事は概ね誰がやっても答えは一緒だからです。例えばバリバリ稼ぐ課長が交通費の清算をしても、新入社員のペーペーが交通費の清算をしてもたいして必要な時間は変わりません。けれど時給が異なるため課長の方が生産性が低い事になります。誰がやっても同じなら、面倒な部分を減らし手抜きをしていく事を考えた方が賢いはずです。それを効率化と言うのだと言われればその通りかも知れませんが、課長が手抜きをして部下にやらせるという発想まで行くと別の視点が出てくるように思います。もちろん部下も手抜きをしたいですから、手抜きをして纏めて処理をする工夫を考えるかも知れません。手抜きをしたいという発想からアイデアを広げられると良いのではないでしょうか。

 

 生産性を高めるのは個人だと思います。でもそれは会社のためじゃないんです。個人の人生を豊かにするためなんです。会社の生産性を上げるのはチームでしかないと思うのです。

 

おしまい。