母の日に必要なものは何だろう

今週のお題「母の日」

 

母の日だった

近くのデパートに行って、母の日である事を思い出した。
GWが終わった頃から、うすうす気づいていたのだけど当日は活気が違う気がする。
この日のために咲いた花たちはどれもみんなきれいですが、明日になったらお払い箱なのだ。あぁ無常。

母の日に限らず〇〇の日は、「伝えられなかった思いを伝えよう!」というオプションが付いている事に違和感を感じる。自分の意志で決めた方が良いんじゃないかなと。
いつも自分の母親をないがしろにしている自分が言えた事では無いのだが、私の母親は気にかけ、心配されていると感じた時に嬉しいと思うらしい。独り身で生活しているので、当たり前と言われればそうなのだろう。自分も40代となり親の面倒を見る側に回ってしまうと、伝える言葉は「ありがとう」では無くなったなと感じる。
「いつまでもお元気で」とか、「体に気を付けね」とか。

 

独り立ちするまでは色々と世話になったし、それなりに感謝もしてきたのだけど、それを返すという事は難しく感じる。自分の親を優先すれば、自分の子供達・家族を優先する事が出来なくなるから。それを両立するとしたら、自分の子供=孫の顔を見せてやる事くらいしか無いと思っている。まぁ、子供達も大きくなったら、おばあちゃんの所に行ってもツマラナイくらいの事を言い始めるだろうけど、それでも顔を見せに行こうかなと思う。自分の子孫がそれなりに不自由なく生きている様を見せる事で、安心できるんじゃないかと思うから。

 

ありのままの親のままで

親はいつまで経っても親のままで、それは色々な形の親がいて毒親とか言われる人たちもいて、それは自分が子供の頃に持っていた感覚と、今でも持っている感覚は大きく変わっていないのではなかろうか。だから、親に対して何を言った所で「子供から言われた」という気持ちを挟んでから、頭で理解している。それが良い方向に働く場合と、悪い方向に働く場合があって、子供の頃の付き合い方に影響しているように思えてならない。自分が大人になってから関係性が変わる場合もあると思うけれど、長い間培った事を年老いた親になってから変えるのは至難の業だろうと思う。

毒親だったとしても、子供に対して真摯に接してきたと思っているだろうし、大人になってから言われても、「育てた恩を忘れて!」と感じてしまうに違いない。ひどい生活だったとしても子供から大人になるためには親の力を借りていたのだろうから。

 

母親の涙

自分の親は離婚したけれど、母親と生活してそれなりの大人になり、妻も子供もいる生活を送る事が出来ている。母親としては、それはチョットした自慢と言うか自己満足と言うか使命を全うしたというか・・・。自分の結婚式の時、母親が見せた涙を思い出す。なんと言っていたかはっきり思い出せないけれど、「ほっとした」というような事を言っていたと思う。子供を育てる事を優先してきたからこそだろう。
自分の知らない所で大変な事も多かったはずだから、育ててくれた事に関してはありがとうと言いたい。そして自分が結婚した時に、子供を育てるという気持ちからは卒業したんだろうと思う。子供を持った今だから何となくわかるし、結婚式で泣いてしまう親の気持ちもわかるような気がする。

 

子供たちのお母さん

そろそろ、少し大きくなった子供たちと、「お母さんありがとう!」 をやっていかないといけない気がしてきた。今年は何もやらずにすぎてしまったのだけど。
子供たちはお母さんに感謝しているのだけど、形に表す方法を持ち合わせていない。もちろん母の日だけ花を渡す事やお手伝いをする事が感謝を示す事ではないと思う。
子供たちは自分が成長した事や自分でできるようになった事を母親に見せて、母親の仕事の成果を示してあげるのが良いんじゃないかと思う。子供の健やかな成長が、何よりも母親への恩返しではないかと思うから。

 

おしまい。