やりたい事を探す必要はあるか?

あれもしたい、これもしたい、もっともっとしたい~!という年齢はとっくに過ぎてしまいました。

 

これと言った理由はないけれど、「何か面白そうだからやってみよう!」という気持ちとか、「何回も同じ事をやっても全然飽きないんだよ!」と言う気持ちは今でもこころの片隅には残っている感覚があります。例えば本を読むことに没頭したり、興味のあるニュースについて、長い時間をかけて調べたり、パソコンの設定を研究したり、コーヒーに拘ってみたり。はたまたゲームをひたすらやったり。

 

そして子供たちを前に、ふと、気付く事がありました。象徴的なのは集中力でしょうか。極端に言えば子供たち(小学校低学年)にはあまり時間の感覚はなくて、お腹が空くとか、親に呼ばれると言った刺激を与えられるまで、一つの事に没頭し続ける事ができるんです。親から見ると超集中としか思えません。しかし、幼い子供にそれほど長時間保てるような集中力は無いと仮定すると、面白い事が次々に切り替わりながら強い刺激を持続させていると思うのです。大人は自分の理解の範疇を超えてくると、区切りをつけたり、頭を休めたりするのですが子供たちにはそれがないみたいです。(本を読んでいる時は良いのですが、ゲームやYoutubeといった強烈な刺激からは自分自身で逃れにくいので、親が声をかけてあげないといけないですが。)

 

歳を取ってしまうと、費用対効果、時間対効果を考えなければなりません。そんな中で、やりたい事を意識的に探す必要があるのか疑問に思います。それは、「やってみて面白かった事」が「やりたい事」に繋がるし、本当にやりたいのなら自然とお金も費用も調整するようになると思うのです。理想論でしかありませんが、やりたい事は何だろうと一生懸命探す(考える)よりも、とりあえずやってみて、それから判断する方が生きやすいのではないかと感じます。本当に没頭できるのであれば、それがやりたい事なのだから。子供たちは楽しく、やりたい事をやるという生き方を実践していると考えれば、大人も見習わなければならないと思うのです。

 

と、ここまで書いてきて、本当はやりたい事ではないのに、あたかもやりたい事のように錯覚してしまうような事には注意したいと思います。暇つぶしでやっている事が、やりたい事に変わるなんて事はありえないと思うからです。

 

うまく、締まらなかったですが、ここまで!