コミュニケーションに必要な労力が高いと感じた事

チェーン店のカレー屋さんで食事をしていたとき、近くの席から怒鳴り声が聞こえました。20代中盤の男性だったように感じました。

 

「この店は注文もろくに取れないのか!」

 

状況は全く分かりませんが、入っているバイトは経験が浅いようで私の注文を受けるときも少々おぼつかない感覚を受けました。私がそのように感じてしまうのは、私自身が月に2回は訪れる店のため、いつも違う対応(マニュアル通りの対応っぽいけど、スムーズではない。)である事は明白でした。

 

客から見た飲食チェーン店のメリットは、初めて行く場合を除けば、それなりに早く同じ味の料理が出て来てくる事だと思うのですが、実は注文の流れがスムーズである事もポイントだと言えます。感覚的に手っ取り早く食べようと思う人達は多く、数あるメニューから選ぶと言うよりいつものアレを選択する人も少くないと思います。先怒鳴り声を上げていた人は、このスムーズな流れが乱されたから激オコになったと推察されます。(完全な妄想です。)客観的に見ればは沸点が低すぎで、周りで見ている方が引いてしまいます。気持ちは分かるけど起こる程の事じゃないだろう…という気持ちになります。

 

人間がそれぞれ違う感覚を持ち合わせている事で、コミュニケーションを取るために多くの労力が必要になります。だから今時の便利で効率的という考え方の一つにコミュニケーションを取る時間を減らすという要素が含まれているのは明らかです。チェーン店の飲み屋さんの注文をタブレットで行う方式を考えた人は素晴らしい発明です。多くの店舗で採用されていますし、使う側もスマホ利用者が多いため、ほとんど違和感もないと思います。インターネットで大半の物が注文できるようになって店員さんとの関わりが不要となった今では、個人のスマホにアプリをインストールして注文する方式でも問題ないかも知れません。

 

ざっくりとお互いが理解してしまえば人と話す事は不便でしかないという事なんだと感じます。チェーン店であれば前述のようにメニューから注文内容までルールが決まっているため、話(注文)をする事すら面倒と思う人が一定以上存在するのだと思います。しかし、当たり障りの無いコミュニケーションすら失って便利と効率を重視した上で成長していく若者はどこでコミュニケーションを取れるようになるのか心配です。将来的にスマホのアプリ上で取るコミュニケーションだけで完結できるような世の中になってしまえば、そんな心配も不用になるかも知れません。今時の若者にはその方がしっくりくる可能性もあり得ます。

 しかし、コミュニケーションが下手になればなるほど、コミュニケーションに必要となる労力が上がってきます。自分の言いたい事を明確に言う事が難しくなったり、うまく伝わらなかった事に対して腹を立てたり…コミュニケーションが必要な職業は高いストレス耐性が必要になるため、低賃金では働きたくないという人が増える可能性もあります。もっとも店員側のコミュニケーションスキルも低くい事になるため双方の労力はかなり増える事になるでしょうが。

 

コミュニケーションの形が時代を経ると共に変わってくる事は自然な事だと思います。それをとやかく言うつもりは無いですが、コミュニケーションは世代間ギャップを埋める必要があるため、「自分達だけが理解できればいい」という事が通用しなくなる時が来ます。だから世代間を埋めるコミュニケーション方法も考えておく必要が有ったりして、いつまで経っても労力が必要な厄介事なのでしょう。

 

近い将来、英語と日本語など通訳してくれるイヤホンが普及するだろうと想像しています。その仕組みが拡張されて、若者言葉を標準語に、怒っている人の汚い言葉をマイルドに、放送禁止用語を自動的にピー音に変えたりしてくれる時代が来る気がしてなりません。それって本当の意味でコミュニケーションとして成り立っているのか不思議な気持ちになりますが、それが効率的で便利な世の中なのは間違いないでしょう。

 

おしまい。