何かに挑戦するたびに自分はバカだなぁと思う

新しい事を始めたばかりは知らない事は多いのだけど、それに対して自分はバカだなぁと感じてしまう事が多いのです。何処からどこまで知っていれば賢くて、どこまで知らない事がバカなのだろうかと。 

 

世の中には賢い人と、賢くない人がいるのだけど、何が賢くて何が賢くないのか決定的な違いについては答える事が出来ないように思う。自分基準で見た「賢い人」と、「賢くない人」の間には歴然とした差があって、少し前は学者さんのように深い知識と見識を持つ人が「賢い」と思われていたのだけど、最近はモノを知っている事より頭の回転が速いと事の方が賢いと表現される事が多くなったように感じる。

 その道の権威と言われる天才であっても、高校生の中で流行っている曲については全く知らない可能性は高いと想像できるけど、その事についてバカにされているシチュエーションを想像するのは難しい。これは想像力の乏しさが問題なのだけど賢い人の前提条件には「バカな事をやっていない」が付いているようにも思える。賢い人はバカな人のコミュニティには参加していないと思うし、コミュニティが違えば必要とされるバカの定義も変わってしまうのだと思う。

 

自分は賢い側なのかバカ側なのか

 何かを始めようと考えた時、自分は知らない事が多く「自分はバカだな。」と打ちひしがれる事が多い。反面、マニアックな事は「知らなくても当たり前」だよと自分に言ったりもする。そう。学校で教えてくれる事、会社で教えてくれる事のように、大半の人たちが教えてもらえる事、新聞やテレビで得られる情報 等々に関しては知っておく事が前提でありマニアックな事だとは思わない。でもマニアックな事に対する有識者はそれなりに沢山いて、その人たちのコミュニティに入れば自分はバカであると感じるに違いない。

最近はネットの影響により有識者のコミュニティに入る事がとても容易くなってしまったため、こんな風に感じるのではないかと考えている。ググればの千差万別なコミュニティが生まれている。その中では議論が活発なコミュニティが存在しているというのは過去と比較してかなり大きいと感じる。その存在すら知らなければ自分の能力について比較する相手もいなかったはずなのに。

別の観点では、分からない事があればすぐにググって答えを探してしまう事がバカになる要因だという人もいるけれど、私はそれ自体が悪い事だとはあまり思わない。大半の疑問は深く考える必要もなく解決してしまえば取るに足らない事が多い。例えば野菜の値段が高いからと言って野菜が値上がりする真の理由を探す必要があるのは稀な話で、知りたいのは大まかな原因と安くなるタイミングでしかない。話のネタにしかならないようなものはサクッとググって答えを探し、答えに対する自分の考えを持つだけで充分だと思う。

バカになってしまうのはググって知識をかじっただけで、広い知識を得たように錯覚してしまう事ではないかと思う。そこに答えが書いてあって詳しく知る事が出来るのだから、自分の頭にインプットする必要は無いと錯覚するだろうし、自分より賢く情報源が豊かな人が作成した情報であるならば、バカな自分が深く考えたとしても新しい情報を生み出す事は不可能だと感じてしまうのではないかと思う。もっと言えば、そういう事を感じるまでもなく、「テストの答案用紙を埋め、手段を選ばず満点を取ればいい」というような勉強の仕方をしてきたから、反射的に答えを探すような頭になっているのではないかと感じる。

 

いつまでも自分はバカだな。と 思って、答えに至るまでの道のりを少しでも考えようと思う気持ちは、ネガティブな要素もあるけれど残していかないといけないのだろうと思う。知ったかぶりになった時点で新しい情報を入れる所が無くなってしまう危険が高いと思う。

 

 

子供達に「いまは知らなくていい」と伝える事がある。例えばギャンブルやHな事について小学生のうちに詳しくなる必要はないだろう。そう思っていても、中学生になったら面と向かって教えるかと言うとそんな事はなく、たまたま教える状況に出会ったときか、本人が教えて欲しいと訴えて来たときになると思う。じゃぁいつから知っておくべきなのだろうか。子供達には常識と思われる範疇については大人になるまでには身に着けておいて欲しいと思うし、それならば意図的に教えるべき事でもあるように思うのだけどタイミングが難しいように思う。そうなると恐らく「興味を持ったら教える」と言うのが正解なのだろうと思う。それは、大人がやっている事に関しては子供はいつか興味を持つものだと思っているから。

子供達は本当にバカであっても自分がバカだとは思わないし(ちょっと劣っていると思う程度)それが良い所でもある。学年が上がっていけば勉強に関する優劣がついてきて、自分の相対的な位置を感じる事になるとは思うのだけど、それはそれで社会で生きていく上では必要だと思う。親としては子供達に対して「自分が知りたいから教えて欲しい。」という気持ちを一番に考えてやりたいと思う。例え、他人からバカだなと思われたとしても、本人が知りたい事、考えたい事に対してサポートしてやるのが親の務めではないかとも思う。テレビや動画などにより与えられた刺激に反応する事もすべてが悪い事ではないのだけど、それをきっかけとして自分なりの工夫や発見をして欲しいと願うばかり・・・。

 

おしまい。