思い出の品を捨てながら、綺麗な思い出を残す事が難しい時代だと感じたのです

あっと言う間に過ぎ去ったGWはいかがお過ごしだったでしょうか。

今年は泊まりで出掛けることもなく、時間だけはたくさんありました。いや、あったはずでした。何も手元に残ってはいませんが、確かにのんびりと過ごしたはずです。

空っぽでも、それでいいんです。

 

思い出の品の大半はゴミ

時間をもて余していた訳ではないですが、いつもはできない部屋の掃除をしました。大学時代に使っていた教本や会社で使っていた古いノート。そういった、まぁ残っていても不思議では無いものから、どこかの入場券や古いお札といったそのタイミングだけ旬であった思い出の品が見つかりました。

 

子供の頃、「捨てるのは勿体ない」というざっくりとした思想を植え付けられた私は、御多分にもれず様々なものが保管されているのですが、40代となった今は基本的に「懐かしい」と思ったモノを捨てるようにしています。「懐かしい」という思い出を補完するだけのモノは、そのまま保管していてもこの先の人生でプラスになる事がほとんどないからです。過去のモノをとっておいても、結局使われないし自分以外の誰かにとっては、九分九厘ゴミに決まっています。ましてや自分の汚点をばらすようなものであれば危険極まりない。だったら自分の手で始末してやるのが筋ってものでしょう。強い思いがあって、記憶に留めておきたい「これぞ!というモノ」は写真にとって仕舞にします。デジタルデータなら邪魔にもならないです。記憶じゃなくて記録に残しましょう。

 

捨てたものを探してしまうのはナンセンス

今回のプチ大掃除で感じた事は、「捨てたものは確実に捨てたと覚えておくべきだ」ということ。悪魔の証明では無いですが、無いものを探して、無いことを納得するまでにはかなりの労力が必要ですから。それを捨てたと言う記憶があれば、数秒で事は終わります。そうでなければ、「あそこにあったはず・・・」からの「やっぱないな~どこにしまったやろ。」のコンボになります。こういう事って1回切りじゃなくて何回も繰り返される事象です。(えぇ、歳を取ればそれだけ多くなりますよ。)良く言われる1年間使わなかったものは二度と使わないというのは役に立つ判断材料だと思います。今年気なかった服は来年も着ないでしょうし、押入れの奥に大事にしまい込んだ道具は、その存在すら忘れてしまっているのですから。こちらも写真化してしまえば曖昧な記憶に頼らず記録にする事が出来るのでお勧めです。ただ、後から分かりやすいキーワード、ファイル名、フォルダ名を付けておいた方が良いです。直ぐに呼び出せないと記録の意味が無いですからね。(管理するソフトにも拘った方が良いと思います。)

 

 

思い出は捨てられても消えない時代になった

写真にして残しておけば記録できます。スマホが便利になって大量のデータを保存できるようになって、簡単に管理する事ができるようになって・・・。記憶が記録として残せるようになった事は便利なのですが、思い出は鮮明な色を残し事実を正確に残すようになってしまいました。

幼い頃の強烈な記憶はその輪郭が緩くなって強い思いだけが残っていくものだと思います。仮にそんな思い出が動画で撮影されていて、大人になってから確認したとしたらどう思うでしょう。多くの場合、「こんな小さな事だったか」と言い、せっかくの思い出が大したことではなかったと感じてしまうのではないでしょうか。世の中がどんどん進化していったら、全ての生活が動画で記録される時代が来るかも知れません。そうなったとしても、思い出の中のシーンをプレイバックして欲しいというリクエストは少ないのではないかと思います。みんな曖昧な記憶になっていく・・・でも何となく覚えているというのが思い出の取り扱いとして幸せだと思うからです。

 

自分の思い出も曖昧になっていくのに、他人事なら、なおさらすぐに忘れちゃうものでしょう。鉄腕ダッシュの棟梁がいなくなって少しばかりは寂しく思っても半年すれば慣れてしまうし、一年たったら「そんな人もいたな」という事になる。SMAP解散だってそう。今でも燻ってはいるかも知れないけれど、メンバーがテレビに出ているのだから思い出すトリガーになってしまっているに過ぎないと思うのです。テレビに出なくなった一発屋の芸人をどれ程覚えていられるのか?と考えれば分かりやすい。

情報がデジタル化して・・・昔は消えやすいと言われていたデータが、今では二度と消えないようなネット社会になってしまった。犯罪を犯してテレビに出た人は一生言われ続けるし、鮮明な記録を何度もプレイバックされる事になる。それが99%の人の思い出から失われたとしても、1%の人が執念深く覚えていて、それを掘り返す人がいるから多くの人の思い出が掘り返されてしまう。何かの犯罪を犯した人が何年で許されるか分からないけれど、許されようが許されまいが一生背負っていかなければならない時代なのだと思う。思い出は捨てられても消える事が無い時代になってしまったんじゃないかな。それも、当事者たちの思いは無関係に。

 

 

記録に頼ってばかりで、記憶を残すような生き方をしなければ、何も詰まっていない空っぽな人間になってしまうんじゃないかとも思うし。

思い出を綺麗な形で残していく事も難しい。

 

思い出の品を捨てつつ、こんなことを考えていました。

 

おしまい。