「もったいない」を考え直すべき時もある

もたないこと と もったいないこと

無邪気に、はしゃぐ子供たちを見ていると非常に羨ましい気持ちになります。あれも欲しい、これも欲しいと雑誌を眺め大人になったら欲しいものを買うぞ!と意気込んでいました。特にゲーム関係はそれなりに高価であると同時に親には理解できないものだったので買って貰うためのハードルは高めでした。誕生日、クリスマス、お年玉イベントの時期はワクワクしていたなぁ。あれも欲しい、これも欲しい…でも手に入れられない。だからこそ、子供の頃に考えていた事は限られたイベントをどうやって効率的に使うかでした。雑誌を読んで下調べは入念にしたし、ビックタイトル以外は友達と被らないように調整したり。なかなか手に入らないから欲しい物を厳選する力を養われたような気がします。

 

それなのに、お金を稼げるようになってからが良くない。「ちょっといいな」とか「お買い得」と言った感覚だけで物を買ってしまうことが増えて物を大事にする事が疎かになってしまいました。買うだけで読まない積読や、いつ着るの?という洋服、ダイエット関係のグッズ。おそらく時間や気力のない忙しい大人には相応しくないモノたちなのです。それと比べて子供の頃買ったゲームは何時間もかけて楽しんだし、とても大事だった。本でもおもちゃでも、それなりに大事にした。たまに失敗したクソゲーや途中で飽きちゃった本もあったけれど、たまには失敗しても勉強代にはなったなと思います。

 

もたない、もてないからこそ、もったいないという気持ちがちゃんと機能していたんじゃないかなと思います。

 

もったいないの罠 

ある程度、生活が豊かになって、それなりに「もてる」状況になったら、「もったいない」という感覚を正当化してしまう事が「もったいない」の原因になることもあるので注意した方が良いと思うのです。

 

食事に関して例えると…

  1. おなかいっぱいで食べれない。
  2. 残してしまったら「もったいない」と考える。
  3. 一生懸命食べる。
  4. 吐く。

「吐く」は意図的なものではありませんがが、親のしつけの影響なのか食べ過ぎて吐いてしまう子供を見かけます。本人が食べたくて食べたという事かも知れませんが、気持ち悪くなるまで食べてしまうなんて、残す事は悪という意識を植え付けられてしまった事が原因だと疑ってしまいます。

単純に残さなければ問題ないじゃん!と考えてしまうと(子供はそう考えるでしょうが)同じ事を繰り返す事になります。それは残り物を食べて太ってしまう母親のように。

でも、食べ物を残してしまう事(もったいない事)が発生した根本的な原因は「もったいない」という考えだからではないかと思うのです。

 

もったいない=損をしたくない

もったいないの何が悪かったかと言えば、「いっぱい食べなきゃもったいない」という打算だと思います。食事を残す原因は食べきれない量を注文(確保)してしまった事が本質的な原因です。最初から少な目にしておけば残す事は無いでしょう。

「もったいない」という言葉の意味が「損をしたくない」となっていた場合、無駄を作ってしまう意味の「もったいない」が生まれるように感じるのです。本心では欲しいと思っていないものでも、お値打ちとか限定とか言われるだけで「買わないともったいない」という気持ちが発生します。私も同じように考える時はあります。色々な場面で似たような煽り文句が使われているのを見るとかなりの効果が出るのだろうなと想像し、少し恐ろしくも感じます。モノを売る側は余程の事が無い限り「あなたには不要です。」とは言ってくれません。「どうぞ買ってください!」と言う声しか聞こえないと思います。

脱線しますが、メルカリやヤフオクのようなサービスは「もったいない買い物」を転売する事により「もったいない」という気持ちを緩和させる働きがあると思います。いっそゴミに捨てた方が「無駄なものを買ってしまった」という気付きは大きいようにも思えます。

 

 増えた荷物はいつか捨てないと

モノだけに限らず人生の天井が見えてきた段階でいろいろなものを捨てていく必要があるでしょう。体は動かなくなるし、頭も固くなってくる。持ってても使いこなせなくなる。一流の人が歳をとっても高いスキルを維持できるのは、一般人よりもそのスキルを磨くことを常に考えているからだと思いますし、二流や三流が太刀打ちできる話ではないと言えるでしょう。とはいえ、磨いているスキル以外の事はどんどん衰えて行くものだと思いますし、むしろ一般人よりも早いのではないだろうかとも想像されます。いつかは全部捨てる日が来るのだから、大事にしたいものはいつも目の届くところに置いて様子を見ておきたいものです。

 

重い荷物を背負ったままでは、遠くに見えているゴールどころか、もう少しでたどり着く休憩所までもたどり着けないかも知れません。それこそ命の危機が迫るまで、せっかく背負ってきた荷物を捨てられないのが人間なのだと思います。何も背負ってない人はほとんどいないくて、みんな荷物の事を考えて思いきった判断ができないのだけど、一流の人は瞬時に何も背負っていない自分と向き合えるから思いきった判断をすることができるのではないかと思ういます。

 

経験や知識は重荷や足かせにもなるけれど、次のステップを踏み出すための道具にもなります。歩きにくい革靴ならば脱いだ方が遠くまで行けるかも知れないけど、軽い運動靴ならば履いていた方が有利に働くに違いない。手にいれたものを失ってしまうことが、「もったいない」ではなく、無駄なモノを手にいれてしまう事や要らなくなってしまったものを思いきって捨てられない事が本当の「もったいない」だと思えるのです。

 

 

 

 おしまい。