おじさんの夏休みの宿題

いつもなら眠そうな目をこすりながらスマホを見つめる多くのサラリーマンを乗せる乗車率200%を超えそうな通勤電車も、学生たちが夏休みに入った事から少し余裕ができるようになりました。名古屋は40度を超え、殺人的な暑さを記録しています。

 

自分の子供たちはと言うと、今年も元気に学童に通っています。学校から学童に変わっただけで夏休みを満喫するーなんて事は出来ていません。可愛そうだと思うけれど、子供達の自由に任せるには幼すぎるので。もう少し大きくなったら、自宅で自由にさせてあげたいのだけど。

 

自分が子供の時は、小学三年生位からひとりで留守番をしていたように記憶しています。朝はラジオ体操に行くために早く起こされ、昼は毎日のようにプール解放があって、学校に通っていました。それこそ休みだけど完全な自由はなくて、それなりに規則正しい生活を送っていたと思います。とは言え、強い意志を持って何かをするでもなく、テレビを見てゲームをやって、昼寝をして…もて余した時間を浪費する事が精一杯でした。何か得るものがあったかと言えば・・・何も覚えていないと言うのが本音です。「あぁ、夏休みが終わってしまう。」それだけは鮮明に記憶しています。

 

自分の子供の頃は…と言う話は、今の子供達に通用しない事も多いのだけど、30年近くたった今でさえ本質的に何も変わっていない事が数多くあります。子供が生まれてから、小学校に入るまでの常識は毎年、少しずつ変わっていて、何が正解なのかわからない事も多くあります。セオリーを求める事が良くないと言えば良くないのだけど、病院とか雑誌からも教えられるものだから仕方が無い。赤ん坊の頃は、母乳が良いとかミルクが良いとか。知育なんてのも親の気持ちの問題だし、保育園や幼稚園は待機児童の話があったと思えば、育休のために保育園に入れない事を望む人もいるらしいし。産まれてくる子供たちは大きく変化していない事を考慮すると、大人の事情に合わせて、子供たちの育て方がどんどん変化しているのだと思う。全てが良いことではないけど、世間に合わせて変わっていくことは必要なのでしょう。

 

 しかし、小学校からは世間の状況はどこ吹く風…ほとんど変わらない。何か影響があるとしたら、少子化による影響くらいじゃないだろうかと思う。あぁ、一つ上げるならばハーフと思われる人が増えたなという印象。それこそ日本式にガッチガチに規定されいたら、対応に苦慮するだろうなーと思う。それは親だけじゃなくて先生側も家庭の事情に合わせる範囲が広くなって大変だろうと思う。

 

 小学生の子供たちの夏休みの宿題は、昔の自分と大差なくて、夏休み専用の冊子が一つあって、絵、書道、工作と言った、親から見ればひどく面倒な宿題があります。自分の親は何も手伝ってくれなかったのだけど、自分の子供たちは満足に宿題をこなす事が出来ない(平日は家にいないので)ため親が手伝う羽目になっています。

 

そんな子供たちを見ながら、大人の夏休みと夏休みの宿題と言えば、年老いた親に会いに行って親孝行する事なのかなと思います。子供が育てば育つほど、自分が年老いていくのを感じ、自分が年を取れば取るほど、親は死に近づいているんだなと思うのです。

 70歳の親は10年後に自分の足で立てるでしょうか。それこそ生きているでしょうか。どうしても先延ばしにしてしまう宿題。いつか死んでしまうのだから後悔しないように一緒にいる時間を楽しいものにしてあげなければと。気負ってもうまく行かないし、無理をすれば遠慮が出てくる。何かのイベントを求めているわけじゃないだろうけど、良い人生だったなと思って欲しい。難しい課題なのだけど、自分たちに与えられた夏休みの宿題をちゃんとこなして、新学期を迎えなきゃいけないなと思うのです。

 お盆のお墓参りと言うのは、伝統的に変わらず続いているのだけど、生きている間に出来る事があったはず・・・と思いながら、毎年のお盆を迎えるのも気持ち良くないでしょうし。大事な人に感謝する日と思って夏休みと夏休みの宿題を片付けていこうと思うのです。

 

 おしまい。