中高年のひきこもりは増えているだろうと思う。

中年真っ盛りの自分ですが、人生の終盤に向かっているのに、世の中にはひきこもりの方も多くいらっしゃるようです。

 

中高年ひきこもり、初の調査へ…国が支援策検討(読売新聞) - Yahoo!ニュース

 

感覚的に増えていると思うのです。ひきこもり。
幸いな事に、ほどほどにストレスに耐えられる気質と周りの人間関係はそれ程悪くないためひきこもりにならなくて済んでいます。ひきこもりの方のご苦労を何も知っていないのでわかったような口を利く事は出来ないのですが、一般的な人でも「ひとりになりたい」「静かに生きたい」と思う瞬間があると思うのです。

外部との接触を断っているからひきこもりと定義されているのですが、逆に言えば外部がストレスフルで辛い環境だから部屋に閉じこもっておきたいわけで、ストレスが無い環境で生活したいという心の在り方なのだと思います。仮に家にも居場所が無ければホームレスの道を選択する事になりそうです。ひきこもりとホームレスは対極にありそうな気もするのですが根っこは同じなのではないでしょうか。

 

生きていく上で最大のストレスが人間関係でしょうし、それを緩和する最大の方法も人間関係だと思うので問題は単純ではないだろうと感じます。


人間関係が苦手であってもある程度は愛想笑いや相槌を組み合わせてコミニュケーションを取る事が出来れば日常生活は成り立ちます。それこそ買い物をするだけであれば必要最低限の言葉を使うだけで生きていく事は可能だと思います。今どきであれば、仕事も買い物も必要最低限の言葉を交わすだけで生活していく事はできるはずです。
しかし、それでは普通の人間としてダメだというストレスが生まれてしまうのではないかと思うのです。人間の遺伝子に組み込まれた性質なのでしょうか。それとも幼少期に親と一緒に過ごす過程で埋め込まれてしまう特性のでしょうか。何かしらの集団に属していないと自分には人間として足りていないものがあるように感じるし、それは異端であり悪い事のように感じてしまうのです。自分の土台が揺らいでしまうような気になるのです。わたしだけがそのように感じるだけかも知れませんが、誰しも似たような部分はあるんじゃないでしょうか。

 

人間関係で疲れたストレスを癒すために一人になって好きな事をやって、ストレスを違う形にしてから吐き出す事でうまく回っているように思います。でも、どこかの歯車がかみ合わなくなってしまったらずーっと疲れたままになってしまいますよね。

その歯車の中にネットが絡んでくると複雑になるように思います。ネット上では人間関係が成立しているようですが、実際にはその人の本当の姿は見る事が出来ません。断ち切ろうと思えばすぐにでも断ち切れる関係だと思います。明確に存在しているようだけど、実際はとても不明確な存在・・・。そうなると自分の好き勝手に想像する事ができるし加工する事も可能です。人間関係につかれた人にとってはとても便利な存在に思います。私も遠い存在と緩やかに繋がってコミニュケーションが取れている状態は何となく安心できます。そうでなくても、人の会話を見ているだけで、それに参加できているようにも感じる事が出来ると思うのです。そうなってしまったら、本当の人間との会話が億劫になってしまう事もあると思います。

ひきこもってしまう行為自体が悪いわけでは無くて、その先の生活が成り立たなくなってしまう事が問題なのですが、心も体もこわばってしまう中高年になってひきこもりでいる事はとてもつらい事だろうと想像します。社会復帰する事が非常に難しいと思うのですが、モヤモヤと納得のいかない人生で終わらせるのではなく、何かしら納得できる終わらせ方が出来ればいいと思います。調査やケアを進めて、苦しんでいる人が少しでも少なくなると良いと思うのです。国が本腰を入れて支援を進めて欲しいですね。

 

おしまい。