生産性を上げても給料は上がらないし費用も下がらない

意識高い系の人たちの間では生産性を上げる事べきだという話になっていると思います。意識高くなくても日本人は全体的に生産性が低いらしく、他の先進国よりも劣っているらしいです。真偽のほどを語れる程のスキルを持ち合わせていないので、世の中のニュースを信じようと思いますが、生産性が低いという事を考え直さないとダメだと思います。

 

機械がやるのか、人間がやるのか ・・・

一日に100個のあんパンを作る事が出来るマシンがあるとすれば、

  • あんぱん100個 / 1日 の生産性です。

一日に50個のあんパンを作る事が出来る機会があるとすれば、

  • あんぱん 50個 / 1日 の生産性です。

この時、一日でたくさん作れるのはどちらでしょうか・・・。これは考える必要もなくマシンで作る方が50個多くなります。

 

では、どちらが多く売る事が出来るでしょうか?

全く同じ味であれば、マシンで作った方が多く売れるはずだと考えそうですが、買いに来る人が10人で1個ずつしか買わないとすればどうでしょうか?いくら多く作っても10個しか売れないので残りの90個を廃棄するだけになりますよね。作った原材料費や電気代なんかを考えると生産性の高いマシンの方が無駄を多く作っている事になります。

 

単純に言えばいくら生産性を高めてもゴミを作ったら意味がないんです。

恐らく日本人の生産性が低いという事がこれに当たると思うんです。日本人はマシンのように決められた事を正しく行う事が出来るように教育されます。(テストの点を取る事を教えられるってヤツです。)けれど、それを欲しいと思う人がいなければ、やった事の価値は低くなり、やがて価値がないもの(=ゴミ)になってしまうのです。

しかし日本の組織の悪い所は、部下は上司が欲しいと思う成果に、上司は自分が欲しい成果に固執し、それを評価対象としてしまう事だと思います。ものすごーく狭い範囲(上司と部下)で必要とする人がいるために、あたかも自分たち以外の人達も必要としているだろうと思い込んでしまっているのではないでしょうか。

会社だと「あの人の審査を通すためにこの資料はここに拘って作れ!」という事ってないでしょうか。それは、「特定のあの人」以外は見る事のない資料で他でツカエナイほとんどゴミ箱行の資料を作っているだけに過ぎない事になります。作成者が1日で100頁の資料を作る事が出来る能力があると仮定したら、ものすごく生産性の高い人材だと考えてしまいますが、極端に言えばゴミを作る生産性が高い事になります。

周りに、安易にごみを作らせる人たちっていませんか?

 更に悪い事に、生産性が高い自分を自慢したい人たちはやり方を変えません。資料をものすごい速さで作れるのだから生産性高いんだと言い続けたいのです。自分が作っているものだから価値があるんだと言い続けたいし、やり方を変えたくないんです。

 

何を基準とした生産性をあげるかって事ですね。会社にいる限りは上司の指示に従わざるを得ない部分も大きいので、儲けに繋がる事に対しての生産性を上げなければ意味がありません。

 

しかし、生産性を上げても単純には費用は安くなりません。あんぱんの単価は劇的には下がらないのです。つまり買ってくれるお客さんがいる限り価格を下げる必要が無いのです。生産性をどんどん上げて、安く早く作れるようになったとしても、売り手の儲けが増えるという事になります。独占状態であれば必然的にそうなるでしょう。そんな中で労働者はどうか? というと、生産性を上げて残業を減らして会社としてのコストを削減しても給料はそんなに上がりません。何故って、社員の給料をそんなに上げなくてもホドホド満足していたら会社にいてくれるからです。生産性を上げて時間を確保して副業しなさいって言ってるくらいですからね。

 

私も社畜なので偉そうな事は言えませんが、ボスと自分の給料に関する交渉ができるレベルになるまでは生産性を上げても給料は上がらないでしょう。生産性を上げる事に気を使いすぎて肝心なところの手を抜いてしまう事が無いように気を付けたいものです。

 

おしまい。