理想的な事を満たしてもハッピーにはなれない

資本主義の星からきた悪魔が愛と勇気を教えてくれない - orangestarの雑記

 

資本主義から来た悪魔という表現は、さすがブラックユーモアのセンスがありますね。良い方向に導いてくれるのが神様、悪い方向に引き込んでいくのが悪魔だとするならば、今の社会としてトレンドになっている事、良いとされている事を囁いてくれる存在にも関わらず、惑わされてしまう人から見れば悪魔なんです。

 

理論的には間違っていない(と思われる)けど、最適解を探して同じルールで生きるというのは、個々人にとっての最適解にはならないのでしょう。神様が育成するゲームをしているのであれば、汎用ユニットができた事になるでしょうが、悲しいかな人間って自分が特別だと思えなければ生きていけない動物なので、汎用ユニットの自分を認められません。汎用ユニットでも生きている事に意味があると言うのは、歳を取った時に察する事ができますが、若いうちは自分の経験が人とは違う事を示す事でアイデンティティを保つという感じでしょうか。人と同じじゃダメなんです。二番じゃダメなんです。赤ん坊の頃から大きくなるまで特別じゃなきゃダメなんです。

 

世の中を俯瞰して、その一部になっている事に喜びを感じられる程の悟りを開いた人間でなければ(某漫画のまどかさん見たいですが)、リンク先の漫画の結論のように空っぽな存在と思い込んでしまいますね。汎用ユニットも使いどころもあって完全に不要ではないのだけど、いくらでも代わりがいるという事には変わりありません。それでも現代の技術では、まだ優秀な人のために働く手足は必要で、それが人でなくてもよくなるまでは、誰かがその役割を果たしていくのだと思います。それが汎用ユニットの役目なんだから。


では、資本主義の悪魔に従うべきではないかというと、そうでもないと思います。学校教育のように人として効率よく生きるためのレベルをあげる事は必要ですし、レベルが上がることで生活は豊かになる(可能性がある)からです。でも、レベルマックスになったときどうするかという問題は残ります。汎用ユニットがレベルマックスになってもレアユニットには太刀打ちできない。恐らく、レアユニットにクラスチェンジはできないのが人生でしょうから。

一般人は汎用ユニットであっても、完全に性能が同じではないので、どんな環境で使われているかによって、違いが生まれます。だから、特定の場所で個々に得意な事があって、そういった自分のいるべき場所で最大の力を発揮することが自分にとって一番良いと思うしかありません。(日本人はそのように考えるから、ブラック企業で働き続けたり自分の居場所を頑なに守ろうとするのかも知れませんね。)

 

逆に「コンビニ人間」の主人公は、コンビニの一部になる事を望みました。ちょっと人とは違う(精神傷害的な)形で描かれていましたが、いまどきの人間は会社や組織の中で生きなくてはならなくて、それは演じているのか、無意識にやっているのか の境目が見えづらくなっています。何かきっかけが有れば、あたかも自分の意識があるように話をするでしょうが、繰り返しの毎日はそれを忘れさせてしまうように思います。

 人に言われて賛同する時には、その考えと同一化する事を目指すんじゃなくて、どう当てはめるかを考えないと失敗するんじゃないかと思います。偉大な成功者と全く同じ事をしても、同じような成功者になれるわけじゃない。

 
私も汎用ユニットを作り上げる資本主義の悪魔の声に従いながら、未だに完成されてはいません。そのためか、今の自分の人生が失敗だらけだなと思うのです。でも、失敗してるから幸せなんだよな とも思うのです。失敗しても何とかやれていると感じられるから、次の失敗に向かって行けると言えるから。失敗したからダメな人生って思っていたら、何も動くことができなくて本当に空っぽの人生になっちゃうんだろうと思います。悪魔の声に従うような、意識高い人が考える理想的な事を満たしてもハッピーにはなれなくて、世間的に理想的ではないと思われるような事を自分で判断して実行した時に、結果がどうであれハッピーな気持ちになれるんじゃないかなと思うのです。(失敗したら、やめときゃ良かったと思うでしょうが。)

 

おしまい。