正論おじさんになりそうな人

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「正論おじさん」が話題になっているのですが、なるほど!と思う記事が載っていました。

商店街を悩ます「正論おじさん」専門家が解説する正義感の正体 - ライブドアニュース

お年寄りというのがちょっと厄介ですね。なぜこういった行動をとるのかを考えると、原因は2つ。強い支配欲求と孤独によるものです。特に支配欲求は、校長であるとか、官僚、大企業の部長職といったような、ある程度の肩書きのある人が定年後に起こりやすいのです。 

 

この現象は会社でも同様の事が起きているように思いました。具体的には「出世を逃した扱いにくい感じの人」が正論、べき論を振りかざして周りを困惑させることがあります。幸いな事にモノを破壊するようなことはありませんが。

私の勝手な想像では、部下に愛されて出世した人 と 部下に嫌われながら出世した人の違いだと思うのです。

 

出世するのはその人の能力ですが、部下に愛されて出世する人は部下やチームの事を考え柔軟な考え方を持っている人物と想像できます。逆に部下に嫌われて出世する人は、上司に媚びるが、部下は自分の言いなりに動かすような偏った考え方の人物と想像できます。会社の中にいる間であれば、どちらのパターンでも成果は出るかも知れません。しかし会社から離れたコミュニティでは必ずしも成果を出す事が優先ではないため、部下に嫌われて成果を出してきたような人は単純に嫌われ者になるだけで誰からも認められません。これは寂しいですね。

テレビで言っていたとか法律(ルール)で決まっているとか、そういった事を理由として「お前らも従うべきだろう」と言ってしまうような所は、まさに嫌な上司の典型に見えます。現実を直視せずルールだけで縛ろうとすれば人は反発しかしないでしょう。

そして、法やルールは決まり事であって正義とイコールではありません。
私は法やルールは正義にはほど遠く、人同士が分かり合えない事を前提として人同士の問題を合理的に解決するための拠り所でしかないと思っています。法やルールに従っていると正論になりますが、正論を振りかざす事が正義では無いと思うのです。

 

正論おじさんには、別の趣味を見つけて貰って、心安らかに生活して貰いたいものですが、誰も相手をしたがらないでしょうから難しい状況でしょうね。

 

おしまい。