夏休みの自由とすごし方

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今週のお題「夏休み」

 

小学生の頃の夏休みの思い出はひたすら暑かった事やプール開放に参加するために8月の前半まで毎日学校に通っていた事くらいでこれと言った思い出は無いです。恐らく歳を取って忘れてしまった事もあるでしょうが、本当にダラダラしていたとしてやらなければいけない事をとりあえずこなすような子供だったな。

 

一つだけ深く覚えている行事があって、それは一人で九州の親戚の家に一週間過ごすというものでした。夏休みでも毎日暇そうにしている私に対してどこにも連れて行けない事を不憫に思ったからでしょう。行きの電車は母親と同郷の家族に連れて行ってもらいました。

その家族には少し年上と同じ年くらいの男子がいてボッチで参加した自分の相手をしてくれました。夜に寝れなくて真っ暗な窓の外を眺めていた事だけ覚えています(夜行列車のため寝て起きたら着くくらいの計画だった)。残念ながら、当時は本当に暗くて何も見えませんでした。

母親の実家に引き渡されると母親の実家には同世代の子供もいなければテレビゲームも無かったから一人でブラブラしている事が多く、親戚のうちになんて遊びに行かなければ良かったと思う事もありました。(誰かが遊んでくれれば楽しいのだけど。)そんな暇を潰す数日の間で家の周りに現れるノラ猫達と仲良くなったけど心を許してくれる程ではありませんでした。(常に少し距離を取る感じで耳はたったまま。)

 

ヤツらは半野良というより半野性という感じだったのでセミ狩りはお手の物だし、スズメを狩るときの鋭いな眼差しは野生を感じさせてくれました。その割に人間に近づいて来る時は猫かぶりをするのだから上手に生きていると思ったものです。猫から見れば人間は合理的では無いように見えるかも知れない。猫は食べたいときに狩り、寝たいときに寝て、遊びたいときに遊ぶ。気が向けば人間に構って貰って餌にありつく事ができる。

 

なつやすみって誰が始めたんですかね。


夏休みを有意義に使えなかった私としては夏休みなんて無くても良かったように思えるのです。例えば夏休みをなくして週3日の休みにするとか。夏休みなんて長い休みがあったとしても自由じゃ無くて何かに縛られていて不自由な事が多かった。猫たちのように自分で餌を取り、食べたい時に食べ、寝たい時に寝て、遊びたい時に遊ぶような事が出来たなら夏休みも悪くなかったように思います。それが出来ないなら長い休みがあっても自由ではないんですよね。ただ学校に行かなくていいだけ。
大学生の時はそれに近い事をできていたのかも知れない。でも、もっとその自由を大事にすべきだったと反省しています。自由とは怠惰に過ごす事じゃなく、自分が思った事を自分が思った通りにやってみる事なんだと思います。

 

社会人の夏休みなんて、ましてや家族持ちの夏休みなんて、家族の色々な事を調整して何かイベントをこなすような自由とは縁遠いものになってしまいました。でも自由は無くて仕事みたいなものだけど、それを楽しめる気持ちを持ち続けようと思います。自由を失った代わりに得られたものは自由と同じくらい大切なものだと思っていたいから。

 

我が子の夏休みは学童に出かけていて可哀そうな気もしていますが・・・家にいてもずーっとゲームやって終わりだなと思うと、まぁ良いかとも思います。
今年の夏休みはどうやって過ごそうかな・・・。

 

おしまい。