心を込めた家事が自分と家族の時間を奪っていないか

f:id:natsuno_sora:20190917203724j:plain


私の見ているTwitter界隈で著名な方々が家事について語っていたのが印象的でした。

40代既婚男性という立場で家事について考えた事について思った事を書きます。

 

「家事は妻の仕事」という人はいなくなった。

もう当たり前の感覚が浸透してきたような気がします。男性でも家事を手伝ってるから偉い!という話は見当たりません。むしろ家事を手伝わない夫は使えない認定される方が多いかも。

 

でも、どんな家庭があっても良いですよね。その家族が最大の幸福を感じられたらそれが一番。

いまだに普通がサイコーと思う方から、専業主婦の方が子供のためになる とか 専業「主夫」はありえない とか聞こえてくるのは本当に余計なお世話だと思います。実際には行動する予定もないのに不必要な心遣いをされても、だから何なの?としか言いようがない。(アドバイスはその人が必要とし、行動する時を除いて害にしかならないと思っています。)

夫も家事をやるべきだーの次の話題としてに「家事とは心を込めてやらねばならない」という意見がバズるようになったように感じます。

心を込めた家事とは?

私の中でも「心を込めた家事」と「心を込めない家事」の違いを明確に線引きする事ができません。それは私なりに妻や子供と接してきて、「心の込め方」によって感謝されたり、されなかったりする事が無いと感じているから。

 

心を込めるの意味を調べると・・・

愛情配慮願い祈りなどの気持ちを十分に含ませることを表す言い回しまた、そうした気持ちのもとに物事を行うことを意味する。「心を込めて作った折鶴」などのように用いられる。

「心を込める(こころをこめる)」の意味や使い方 Weblio辞書より引用

かなりレベルが高いです。


言葉の意味するところの登場人物は自分だけなので自分がそのように思えば、それが正解なのだという解釈になります。
なるほど、心を込めたストーカーや心を込めたあおり運転者がいてもおかしくはありません。「誰か」や「何か」がなければ愛情や配慮を発揮できないようにも感じますが、自分自身に対して心を込める事もできそうです。

「相手の気持ちに配慮して」という意味が含まれているならば、「心を込める」事が具体的になったんじゃないかな。いまどきの心の込め方は(相手の気持ちを勝手に配慮して)愛情や配慮の気持ちを含ませているように思えて仕方ない。

  • 子供の野菜嫌いがひどくて困っているとして・・・
    A. 野菜が無理ならフルーツを食べさせる。
    B. 食べやすくした調理した野菜を食べさせる。


どちらも「心を込めている」シチュエーション!。
では、どちらなら子供が「心を込めてくれてありがとう!」と言ってくれるでしょう。
答えは決められませんが、親は食べてくれたら満足で、子供はまずい野菜を食べなくても良かったら満足。「心を込めた」事が円満解決した状態と言えます。

しかーし、子供が食べたくない!と言ったらどうでしょう。
Bの場合に「心を込めて作ったのに!」と怒る親は多いのでは?
Aの場合も「せっかく買ったのに!」という親もいると思うけど、手間をかけたBの方が「心を込めた」ように認識するはず。つまり「自分が苦労した事」が「心を込めた事」にすり替わりやすいという事なのだと思います。
 

仮説として「いやいや家事をやっている人ほど、手間をかけた事を心を込めたと思い込みやすい」のではないでしょうか。

 

一人暮らしでの家事を考える

大きく分かれるのは一人暮らしの経験ではないかと思います。

一人暮らしで「心を込めて」家事をする人はどれくらいいるのでしょうか。
全ての事を自分の裁量で決める事ができ、誰からも文句は言われません。
一人暮らしの経験で自分の最低ラインが見つかります。

誰か異性が来るから片づけを頑張る とか、
友達が来るからおしゃれに飾るとか、
インスタ映えとか

そういう事じゃないです。

純粋にボッチ生活した場合に、自分だけが快適に過ごせる状況を作るとしたら・・・
そんな経験じゃないと他人からの見え方に左右されてしまうので、本当の最低ラインは見つけられません。

男性と女性で最低ラインは大きく違うように思います。
男だから仕方ない、女だからきちんとしてと言われて育ったはずだから。

 

家族暮らしでの家事を考える

「心を込める家事」よりも必要なの事は、家事について家族で話し合い、合意をとる事が必要だと考えています。家族だからこそ、何に一番時間を使って欲しいか決めた方が良いから。

キャラ弁作るための30分を子供と話する時間にあてた方が良いのでは?
食器の手洗いを食洗器に替えて、子供の宿題を見てあげたらどう?
掃除機をロボット掃除機に替えて、自分は30分カフェに行ったらどう?
Amazonでまとめ買いして、買い物を一日減らしたら美容院に行けるんじゃ?


「何かして欲しいと思ったら、まず自分でやる方法を考えて欲しい、できないと分かったら、ちゃんとお願いして欲しい。」

と子供たちに言っています。

掃除、洗濯、食器洗い、弁当・・・大人であればすべて自分一人でもできるはずなんです。子供たちでもできる事はあるんです。でも、家族全体で最も自分の時間を生み出せるように効率化する分担や効率化が必要なんです。


それ以上の事(手間のかかる事)は、誰かからお願いされた場合だけ頑張ればいいんじゃないだろうかと。それこそ、心を込めてお互いにやってあげるって事じゃないでしょうか。

心込めて家事をする事と、家族で団らんの時間を取る事。
家族はどちらを望んでると思います?

家事を優先するのは、自分が家事が得意だからじゃないですか?
家族と過ごすのがメンドウだから時間が無いって言ってません?

家族と関わるよりも自分ひとりでやる事が得意になってしまって、得意な事を優先する事を考えているんじゃないかと心配になります。家族がもし入院しても家の家事を優先するんですかね。

私のうちではロボット掃除機も食洗器も冷食も活躍しています。外食も多めです。
でも、誰も文句は言いません。それがもう普通なんです。それで幸せだから大丈夫。

 

心を込めた家事が自分と家族の時間を奪っていないか?

心を込めた家事を褒める事は正しい事だと思います。
しかし残念ながら必要以上に心を込めても必要以上は褒められないのです。
心を込めて家事をこなす事が、「やりたい事」だったら、何を言われようが時間をかけてやればいいと思います。でも、家事が最も「やりたい事」 に繋がるとは思えないんですよね。

「心を込める」から時間が足りなくなるのなら、「短時間で心を込める」方法を見つける努力をした方が良いと思うんです。


手抜きと効率化は見ている角度の違いかも知れませんよ。

 

おしまい。