送別会で思う。変わる事から逃げていた自分の事。

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先日、同僚の送別会がありました。
その方は事情により転勤を伴って別の部署に異動していきます。
恐らく二度と合う事はないでしょう。

 

思い返せば、自分が30代の送別会は何かもやもやした気持ちになる事が多かったです。20代~30代は現場で苦楽を共にした同志が多く、思入れが強かったから 「切なくいような、寂しいような、残念なような 気持ちがもやもやしていたんだろう」と思ってました。でも、40代の自分が振り返ると、送別される同僚たちの事よりも、「自分自身が悩んだり迷ったりする事が多かったから複雑な心境だったのだろう」と思います。

気づいてしまうと、自分は冷たいやつだったなと思います。
でもね、送別される同僚だって残る人たちになにも期待はしてないでしょ?
後はよろしくやっといてよ。くらいでね。

多くの人を見送る時、若い自分は同じような仕事をして変化のない自分に焦りを覚えていました。あいつらは変わっていく。自分は変わらない。このままでいいのだろうか。
そういう事も将来のビジョンが見えていたら安心するけど、まるで見えてませんでした。仕事も忙しいばかりで心も疲れていたんでしょうね。極めつけは目標となる先輩や上司がいなかったから。淡々と自分の仕事をこなすオジサンたちしかいなかったから。


比べる対象が無ければ比較はできないわけで。世間を見なきゃ新しい発見は無いわけで。そういう機会に恵まれた事もあったけどチャンスをつかむどころか怖気づいた自分がいました。さらに皮肉な事にそれなりに使えるヤツと思われたため、部署が異動になったり違うプロジェクトに応援に行く事がほとんどありませんでした。そりゃ他のオジサンたちに比べたら頑張っていたと思いますけど・・・。

だんだん責任も重くなって、自由に動く事ができなくなって・・・結局、経験値を増やす事ができぬまま今にいたります。そう、あの時みた淡々と自分の仕事をこなすオジサンと同じになってしまった自分がいるだけです。

・・・

送別会は笑いの絶えない和やかなムードでした。送別される方が20代の方だった事と、何よりすべてに前向きだった事が大きな理由だったと思います。

今の私は若い人達が変化をする事に対してどんな事でも良かったね!と言えます。それが異動だろうが、転職だろうが、退職だろうが、ユーチューバーになる事だろうがどんなことでも。それは、今は一つの価値観だけじゃうまく生きられない時代になってしまったように思うから。私のようにひとつの組織の価値観に染まれば同質の人間ができるだけだから。

私はしばらくは見送る側として働き続けるでしょう。
そして、組織は私の代わりを育てているのだから、私が見送られる日が来ると思います。若くはない自分に変化は辛い事になると思うのだけど、変化できて良かったと思えるように今から心の準備をしておこうと思います。すべてに前向きでいられるように。(とりあえず心に余裕を持つために、数年は食べていける貯金をためる所から始めよう・・・)

 

おしまい。