フォローさせて頂いている方のツイートで思う所がありました。
「一度きりの人生、やりたいことをしよう」
— クロネ@趣味ブロガー (@kuroneblog) 2019年10月9日
という現代の呪いがある💀
真面目な人ほどかかりやすい。
この呪いはやりたいことができないと自己否定する恐ろしい呪いだ。
他人のキラキラしたところを見てさらに自分を責める。
もっと肩の力を抜いて適当くらいがちょうどいいと思うの🐈️
私も呪いにかかっています。
20代の終わり、30代の終わり、・・・自分の人生はこのままでいいのだろうか?と考え、悩んで、何も行動しなくて、これで良かったんだと言い聞かせる事を繰り返しています。40代の終わりにも同じことを思うでしょう。
「やりたいことをする」とは「幸せな人生」につながっていると思います。
何年前からだろう。本当に「やりたいこと」がはっきりしている人は、自分の好きな生き方を選びやすくなったと感じます。いい会社に入って、いい人を見つけて結婚して、子供をもうけて・・・という様々な「普通の幸せ」を間違った考え方だと言えるようになったから。
それに比べてやりたいことがはっきりない人、他人からの評価が無いと自分を評価できない人・・・つまり私のような一般人は困った事になりました。
これまでは「普通の幸せ」がベストプラクティスで、普通以上を求めるなら何かを犠牲にしなければ手に入らないというのが一般的な考え方でした。それが親戚、親子、夫婦といったコミュニティーの中で同じ価値観を共有する事ができたから、迷う事が無かった。お互いに我慢をする事もできたと思います。
でも、今のネットでは「普通の幸せ」が壊れてしまったように感じます。
それは多様な他人と比べられるようになり、他人がSNSでアッピールしている事を本当の事だと信じる人が増えてしまったからです。テレビの向こうにいる人は普通の人じゃなかったですよね。演技してるって思ってましたよね。なのに、ネットの向こうにいる人は演技してないってどうして信じられるんでしょう。真面目な人はSNSで演技している姿を見て勘違いしてしまっています。あいつら「幸せそうだな」と。
世界の見栄えだけが良くなったせいで、
自分が思う普通の幸せが揺らいでしまった。
大半の人が「普通の幸せ」で十分だったのに、
普通の幸せがはっきりしないから、
もっと幸せになれるんじゃないかと考えてしまう。
そして、新しい「〇〇するべき、こうあるべき」が
生まれて、真面目な人がつらい思いをしている。
なんか、そう思えてしかたありません。
結局、自分にできる事は日常を大切にする事しか思いつきません。
明日、目が覚めたら何かが変わる事なんてないですから。
(犯罪者になれば違うでしょうが、それは別の話で・・・)
本当にやりたいことをやり続けるなら、他人よりも長く努力をつづける以外に方法がないし、他人を超えたいなら他人よりも大きな努力が必要です。私の会社員人生でも、すごい!と思った人はみんな努力を惜しまない人で、その努力を大した事じゃない!と言い放つ人ばかりでした。努力を努力と思わない人は成功の可能性は高いでしょうが、残念ながら私にはそういうモノが何もありません。何もない私と同じように、地道な努力をして、ささやかな幸せを積み上げる人生が似合う人の方が圧倒的に多いと思うのです。
日常を大事にしよう。
ムリにやりたい事を探す必要は無い。
でも、やりたい事があれば、少しづつ積み重ねよう。
もし、花開かなくても自分がやりたかった事を肯定できるように。
歳を取れば取るほど、残りの人生を考えると迷いも多くなります。
でも、迷う必要は無いんだ と自分に言い聞かせておきます。
おしまい。