自分の子供を武器を持たない丸腰の大人にさせないために

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小学生でも学校の授業が少しずつ難しくなっていきます。

 

小学二年生の息子が九九をなかなか覚えられません。

授業で九九が始まったのは教えてくれたのだけど、
九九の暗記(練習)はほとんどしていませんでした。

 

なぜ練習をしないか不思議に思い、ママが息子に「なんで練習しないの?」と尋ねました。息子は親としては困った回答をしました。

  • 先生から九九の宿題は出されていない。
  • 先生は「暗記できたら親から◎をもらってください。」と言っていた。
    (しっかり話を聞かない子なので、ちゃんと聞いていない可能性はある。)

先生の宿題は文脈としては間違っていないのだけど、うちの小学二年生には理解できない表現でした。

親の理解としては「暗記できたら」という文脈は、「暗記をしなさい」という意味であり、「自分で暗記の努力をしなさい。」という意味に直結します。

おいおい・・・宿題でてるじゃねーか。
そう思って私たちはがっくりしました。

先生の話を理解しろと。


そして少し怒った口調でママが暗記の努力をする事を促すと、
こんな風に息子は話しました。

  • 宿題として出されていないからやる必要はない。
  • ◎が欲しいから、とりあえずチャレンジはする。
    (ただし暗記の努力をしていないので、全く合格しない。)
  • 既に9の段まで先生の合格(?)が出ている人はいる。
    (自分にも早く◎をくれと言いたいらしい。)


親としてはとてもがっかりしたのですが、やりたくない側の子供にしたら当たり前の反応だからです。九九が自分にとって何のメリットがあるのか分からないのだから、練習なんてしたくないでしょう。それこそゲームをやる時間にあてたい。それは分かる。


小学生って万能感があって、本気出せば何でもできると思っています。
しかし親の経験則からすれば伸び盛りの小学生と言っても、何もやらなきゃ伸びません(エビデンスは自分)。勝手に伸びるのは身長だけ。

覚える努力をしなさいと子供に言いました。
努力をしなければ成果に結びつかない事を知っているからです。
でも、意味が分からない努力なんて続かないんですよね。
5分もやらずに暗記を止めてしまいました。

 

なぜ九九が必要か
なぜ九九を勉強する必要があるか
なぜ九九を暗記する必要があるか

 

結局、こういう事を親の方が教える努力を放棄してしまいました。
どれだけ言っても伝わらないのは目に見えていたからです。

とにかく覚えろ。
100回繰り返せってね。
結果、子供は九九を覚える事ができました。
(まだ、完璧じゃ無いけれど)


 

この時、あの学校に行かない小学生YouTuberを思い出しました。

あの子と同じなんだなと。小学生じゃ生きていくために必要な事を理解するのは無理なんだと。

小学生が学ぶ事は生きるために最低限の武器を持つ事だと思うのです。動物の世界で言えば子供が遊びの中で狩りを覚えていくような。
でも、人間の世界はそう簡単じゃない。代わりに、命をかけるほどシビアでもない。動物は空腹で命に関わればなりふり構わず行動する。でも人間は暴力を使ってなりふり構わずに生きる事はできない・・・。

頭を使って、知識と言う道具を使って生き残るしかない。


大人になった時、丸腰の状態だったとしたらどうするのか。
なんで勉強を教えてくれなかったと怒るのだろうか。
どうせ怒られるなら子供の頃の方がどれほどましだろうか。


「学校に行く必要なんてない、自分で勉強すればいい。」
この考え方には無理があって子供自身が何を勉強すれば生き残れるかを理解していなければ成り立たないんです。親が教えるのなら学校に行った方がマシな事の方が多いと思う。集団生活も人間社会で生き残るために必要な知恵なのだから。

 

自分の頭で考えろ、自分で努力しろ と親が言った所で伝わらないと改めて感じました。言葉を知らない子供が字を書けるわけがないように、考える練習が足りない子供が考える事はできないのだから。

意味は分からないかも知れないけど、親として覚えておかなきゃいけない事はとりあえずできるようになってもらおうと思う。それを嫌がったとしても。
いつか分かってくれる日がくるだろうから。

詰め込み教育という言葉もあったけど、大人になった時に必要な事は子供の頃に詰め込んでしまってもいいんじゃなかろうか。自由奔放に育てるのもいいけれど、大人になっていきなり社会に放り出されても困るのは子供たちなんだから。

 

 

おしまい。