離職者を見送る時は心がざわつく

老人を見送る時

二十年も会社員を続けていれば、会社を離れる人を数多く見送る事になる。
定年退職もそうだけど、早期退職も増えてきて50代の人を見送る事もしばしば。理由は特に興味はないけれど(辞めたいから or 辞めざるを得ないからの2択しかないから)介護などの家族が理由で辞めるのは、ちょっとだけ胸がざわつく瞬間があったりする。

逆に雇用延長で残る人もいるけれど、感覚的には一度いなくなった人という感覚しかない。明日いなくても何の不思議はないよなぁと思いつつ将来の自分を重ねたりして…溜息しか出ない。稀に亡くなって退職というパターンもあってショックを受ける事もある。聞くと直前の仕事が忙しすぎて病院に行けなかったパターンが多く、それだけは真似したくないと思うしご家族の事を考えるとね…。そういう姿を見るたびに検診の結果には注意していこうと、30代の頃から思い続けている。

明日は我が身と思いながら、いつまでも会社にしがみついているのでこのまま穏便に60歳までいられたらいいなとは思う。(一刻も早く辞めたいという心と裏腹ではある。)70歳定年なんて冗談はよしてくださいよ。

まぁ、老人たちは良い大人なんだから色々と考えて自分が選ぶ事のできる最善手を選んだに過ぎない。健康については運悪くという事もあるけれど、自分に向き合った結果でもあるので他人がとやかく言う事でもない。

若者を見送る時

自分より若い人が会社を去る時は何がダメだったのか考えてしまう。
最初から会社に合ってなかったなと思う人もいれば、会社に壊されたなと思う人もいる。外からの見え方だから話のネタくらいにしかならないけどね。


若くして自分の将来を選択をする事の意味は、歳を取った今だからこそわかる事もある。人生は選択の連続と言うけれど、年を取れば取るほど妥協の連続になってくる。少し歳を取れば Yes or No だけでで決められる事は選択のうちに入らないレベルになり、メリット・デメリットの多数決で決める事ばかりになっていく。そして持ち時間はとても短く選択の結果は重くなっていく。

若いから選択は簡単だという事はできないけれど、失敗が許されるのは若さの特権だ。失敗を糧にした成長や伸びしろという曖昧な言葉で本来の能力よりも下駄を履かせてもらえるから。しかし中年の失敗は正当な理由が無ければリスク対象として見られるだけ。転職は若いうちの方が良いのは間違いない。

 

「新しくやりたい事が見つかったので。」と言うのだけど、実際は今の仕事が嫌だから辞めるというだけなので聞くだけ無駄だし、「今の仕事をやっていて将来不安になった」という言葉も聞くようになったけど、10年後にどうなってるかなんて分からないのに不安になっても仕方なくないか?とも思う。

結局は今の仕事に不満だという話なのだけど、その理由だけだと、次の会社に行っても同じ事の繰り返しだよと言いたくなる。IT系は流行り廃りの激しい業界だし、逆にそれくらいの方が生存率が上がるのかも知れないけれど。

正直、人それぞれ、どうなるか分からないのでジョブホッパーになるのもアリだけどやるなら東京にしておけよとは思う。片田舎では上を目指そうにも天井は低い。人が多い場所でこそ選択する事に意味があるんじゃないだろうか。

 

ざわついた心は

老人には自分の未来を、若者には自分のできなかった事を投影して心がざわついてしまう。だけど隣の芝を見て何かを決めるなんて馬鹿げてる。

心がざわつくのは何も考えていない証拠なのだと自分を戒めるしかない。ちゃんと考えて計画していたら実行する以外にないのだから。

自分の人生は自分で決めるしかない。だから、仕事に行くのが辛くても、とりあえず行くし、新しい仕事を探そうともしない。今の自分は、今の生活をいかによりよくする方法を考えた方が建設的だなと思う。

ざわついた心は、考えるきっかけ。自分の将来をちゃんと考えてみようと思う。

 

 

おしまい。