お金をあげる事が生活保護じゃないと思うのだけど。

生活保護の支給額が減額されるようですね。

記事を見て思った事を書こうと思います。

 mainichi.jp

幸いな事に、現在の私には生活保護を貰うには縁遠い生活をしています。

何も詰まってない頭で考えるなら、「働かないでお金貰えるって羨ましい。」という発想が出てきます。そう考えながらも、それなりに働いた分だけ給料が出ている自分にとって、働かないで貰えるお金よりも自分が働いた(貢献した)対価として貰うお金の方が自由に使う事ができる気がして清々しいという一面もあります。世間的に生活保護の家庭なんだったらギャンブルするなとか酒を飲むなとか言われて肩身の狭い思いをしている人もいるでしょうが、負い目を感じずに生活保護費をギャンブルにつぎ込んでいる人があるのなら、さっさとボッシュートして欲しいと願わざるを得ないです。

 

生活保護に(今の所)縁遠い私が考える事ではないのかも知れませんが、最低限の生活を送れるという定義がかなり難しいように思います。

制度の趣旨
 
生活保護制度は、生活に困窮する方に対し、その困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障するとともに、自立を助長することを目的としています。    
健康で文化的な最低限って言われて、「あーわかるー」と言える人がどれ程いるか分かりませんが、少なくとも私にはイメージが湧きません。少なくとも、衣食住と言われる点においては保証されるのだろうと思うのですが、文化的と言われるとテレビなんですかね、もしくはスマホなのかも知れない。新聞だって読む必要が有るかも知れない。文化的で最低限ってこれまた難しいなと思うのです。もう一点、自立を助長する事が目的らしいです。現実的に考えて、10年かけて自立するというのはかなりハードルが高いでしょう。2年、3年レベルであれば社会復帰もできると思いますが5年、10年単位で仕事をしていないのにサクッと健康で文化的な最低限の生活を送れる程の収入を得られるようになるとは考えにくい。働いた分だけ減額されて差し引きは変わりません!だとするならば、少しでも頭が働く人なら働いたら負けかなって思うでしょう。

この辺の矛盾を飛び越えるためにはベーシックインカムという考え方は必要なんだろうなと感じます。個人毎に違う判断基準に対して、行政や世間が何かしらの押し付けを行うの事は、その摩擦を解消するためのコストを考えると(特に役所の方の労働が)無駄でしょう。酒に溺れたダメ人間はいつまで経ってもダメ人間である事が多いのですから。

生活保護費の支給額について、私はとやかく言える知識を持っていないですが、労働しないで貰うお金という基準だけで考えた場合、多いように思います。ただ、労働できない状態に陥っているから保護を受けているわけで、労働の対価として比較するのはナンセンスという事なんでしょう。更には家族毎のいろいろな事情に合わせる必要はあって、役所の窓口にいる生保担当の方が頭を悩ませ禿げるくらい気を使っているのではないかと妄想します。しかし、いろいろな事情を聞いて考えて判断するプロセスを経ても、誰もが公平だと思えるジャッジができないのは明白です。人間だもの。情にも流されるし脅しにも屈する事はあるでしょう。そう考えた場合、給付の判断基準をシンプルにして行政側のコストを出来る限りの押さえないといけません。だって給付するかどうかを判断している時点では、まだ誰も助かっていないのだから。判断だけに個別のヒアリングなど膨大なコストを投入して、さらに生活保護費を払っていたらお金がいくらあっても足りないし、ましてや使える費用が減って、助けられる人を助けられない事態にもなりかねないんじゃないかなと心配です。だからと言ってAIで判断したら人間味が無いとか、選挙で言われるんでしょうね…。

 

 働きすぎて自殺する人もいれば働かないで収入を得ようとする人もいる。働きたくても働けない人もいれば、働かなくても収入がある人もいる。世の中が公平である事と個人が個人毎の考えを持てる事は別の話だし、公平を求めるとそこからはみ出る人や公平な事自体に不満を持つ人が発生して不公平が生まれるという繰り返しになるのだと思います。生活保護は生活に困窮した人を助けるための制度だという事は分かります。しかし一生懸命働いても生活苦になっている人もいるし、障害を持っていても働いて自立しようとしている人がいるのだから、生活保護という括りで公平に個人毎の支援をしていくというのは限界があるんだと思うのです。困窮している人にお金だけあげても、最終的には何も解決しないという事なんだと思います。金額の多寡により制度をコントロールするという考えももう少し考え直した方が良いと思います。

 

お金の集まる所には澱みも発生するものだから、もっと綺麗にシンプルに流れていける制度になるように切に願いつつ、制度に頼らなくても済むような生活が今後も続くよう頑張っていこうと思うのです。

 

おしまい。