議論での本当の勝ちって得るものがあった時じゃないかな

効率よく進めて行く会議はとても難しいわけで、その中で進める議論も難しいわけで。

更には議論と討議って全く違うんだけど、議論してるだけとか言っちゃうやつもいて難しいと思った次第です。

 


コンサルタントだった頃学んだ「議論がうまい人」とそうでない人の5つの差異。 | Books&Apps

 

この記事を読んで議論について、とてもうまく纏められていると感じた。議論のうまい人は、「勝ち」「負け」を気にしないという所に強く共感したので、それについて書いてみたいと思う。

 

勝ち負けと言うと直球すぎるけど、自分の言いたい事を相手に理解してもらえれば勝ちと言えるのだろう。要は相手をねじ伏せて自分の意見を通す事を良し(勝ち)として、自分の意見が通らないと(負け)と考えるという事。これってディベート(討議)とごっちゃになっているのではないだろうか。(これらの言葉の意味も感覚的な差でしか説明する事が出来ないけれど)

たまに「わかってねーなお前は」という感じで発言する人がいて非常に驚くのだけど、そのような発言を会議の場でしても意味が無いし、分かってねーヤツに退場して欲しいのならば、退場しろと発言すべきではないだろうか。逆に分かってねーヤツも不貞腐れてだんまりを決め込むヤツがいて、そうなると「好きにやってください」とか言い出す始末でこれまたげんなりしてしまう。

一番わかっているヤツは出席者の理解を深める動きをして、一番わかってないヤツは分からないなりに疑問に思う所が解決の糸口になる事があるので、話に食らいついていく気概を持って欲しいと思う。スカウターで戦闘能力を測れたとしても、その戦闘能力だけでは議論の意味は無い。議論は出席者の合意を取って目的に沿ったゴールを目指す必要が有るため戦闘力の高い人の発言を鵜呑みにして簡単に議論を収束させようとする事は良い事とは言えないと言える。

 

仲が良い場合、仲が悪い場合という感情が入ってくると更に厄介になる。

「何でわかってくれないんだ」、言われた事があるけれど、そういう時、「わかったよ、こういうこういう事だろ?」と言うと「ちょっと違う」となる。または、もう一度「全然わかってない!」となる事が多い。感情的になった時点で矛盾をはらんだ様々な感情が沸き上がるのだから、他人が完全な正解を出すのは至難の技だと思う。こういう時は何も言わないが正解で、「冷静に話をしよう」というと「俺は冷静だ」と言われてしまって、もうメンドクセーとなる事が多い。

こうなると男女の痴話喧嘩っぽくなってバカバカしさも生まれるのだけど、そこに愛は無いので時間を無駄にした虚しさだけが残るのだった・・・。

こういう酷い議論に出くわす事はそれ程多く無いのだけど、「言ったもん勝ち」「責任を取りたくない」という自分が有利でありたいという感情が議論を捻じ曲げる事は多いと思う。主催者が参加者の利害をうまくコントロールする所までできると、物事が進んだ感じがして有意義だと感じる事ができると思う。

 

議論や参加者のレベルに応じて様々なシチュエーションがあるのだが、意見を通したい人は「分かりやすく言う」のが基本なのだと思う。小難しく説明をして、少し間違った事を言うと上げ足を取るタイプの会議をしていては先に進めないし、結局何が言いたいの?という一番ダメな流れに運ばれる事が多い。自分の意見を察して欲しいと言うのはかなり横暴なのだと思う。察する量が多くなればなるほど、途中でブレが大きくなる事は間違いないし、そのようには理解できなかったと言い訳する人も出てきてしまう。

全てを曝け出す必要は無いし利害関係を含んで動いた方が後々、上への報告も円滑になって物事がスムーズに進むと考えるのである程度の考慮は必要だと思う。その辺のさじ加減を調整できる人が一緒に仕事しやすい人だなと感じる事は多い。

 

自分が伝えたい内容が(同意を得られなかったとしても)相手に伝わり、相手の伝えたい事が(同意したくなくとも)伝わった時、議論としては勝ちになるのではないかと思う。自分の意見を強固にし、相手の意見により視野が広がるという所に勝ちと言うか価値があるわけで、相手を黙らせてやる事に価値は無く、むしろマイナス面しか見当たらない。これからも何百回と議論する機会に出会うと思うけれど、お互いに価値が生まれ、お互いに勝ったと思えるような議論ができるよう、バランスの取れた話し方を心がけようと思うのです。

 

 おしまい。