親の心配をすべき歳になったと気づかされた

大阪で大きな地震があって、塀の下敷きになってしまった女の子を思うと胸が苦しくなりました。自分の子供と同じ学年で性別も一緒。もし、我が子だったらと想像すると、平常心ではいられなくなるだろうなと思います。学校って比較的安全場所で、災害時には避難所にもなる場所なのに…。

 

災害時は連絡が取れない事が前提

災害時は何があるかわかりません。更に、災害がなかった場所では何が起こっているのわかりません。事件は会議室じゃなくて現場で起きているわけで、報道される情報は優先度が高く、全体的な情報に過ぎません。その場に居合わせた人、一人一人違った何かが起きているはずなのだけど。学校に通う子供たちに対しては安否を確認するのが難しいため、どうするべきなのか、再確認しておく必要があるなと思いました。学校にスマホを持っていくわけではないので、直接電話をかける事もできません。もちろん自分達で電話を借りて親に連絡する事もできないでしょう。更に、登校中であれば全く連絡が取れない可能性もあります。たくさんの子供達が一緒に登校していても、親に連絡が来るのはかなり時間がたってからでしょう。親たちは子供の無事を祈って待つしかありません。

 

見守る相手は子供だけじゃなかった

子供達は守るべき存在で、いつでも気にかけておかなくてはならない。それはほとんど間違ってはいないと思います。しかし、今回の地震が発生して、自分の親についても同じように気にかけなくてはならない存在になっていたことに気付かされました。自分の母は大阪に住んでいるわけではないので、大した揺れでなかったことは間違いないのですが、ニュースが一通り収まった後に「お前はなんで親の安否を確認しないんだ。」という趣旨の事を言われました。正直な所、何もないだろうと思っていれば自発的に確認を取ろうとは思いません。ですが、実家ではそれなりの揺れがあったのでしょう。若い時であればなんて事なかった揺れであっても歳を取った親にとっては、酷く心配に感じたのでしょう。更にニュースで被害の大きさを知った後、自分が被害にあったとしたらどうすればいいのだろう・・・と思ったに違いありませんでした。

正直、今まで何も言われた事がなかったので気にも留めていませんでした。子供から親に対して気にするという心が育っていなかったのだと思います。それは40になっても親は親だし、子は子だと思っていたのかもしれません。本当なら独り立ちした時点で、親と子の関係は逆転していたのでしょう。今更ながら、そう思うのです。

 

母親は守られる存在だと理解しているという事

実は、妻が私の母に安否の連絡を取っていた事が、母親から連絡があった事のトリガーになっていました。嫁は心配してくれるのに息子は何も言ってこないという事に対して何か黙っておけない思いが生まれたのだと思います。しかし今回の事がきっかけとなって、母親が自分から「守ってもらう存在だ」と主張してきた事は良かったのではないかと思っています。老人になったとは言え、親なのだから子供に甘えるという事に多少なりとも抵抗があると思うのです。素直に言ってくれる親であれば、気にする事は無いかも知れないですが、私の母親のように同居しておらず、人に迷惑をかけたくないという思いがあるとなかなか本音を言えないものではないでしょうか。

今の状況がいつまでも続くわけでは無くて、もう10年、20年したら死んでしまうかも知れない母親に対してもう少し親孝行ができるようにしなくてはならないな…と思いました。

 

全てに最善を尽くす事は難しいので安心できる方法を考えておこう。

子供たちや自分の母親に対して、何か起こった時や助けてほしい時にどのような行動をするのかちゃんと決めておく必要があると再認識しました。どういう行動をすべきかも大事ですが、どうしたら安心できるかという事も考えておかなければならないと思ったのです。頭でわかっていても、被災した時は冷静になれない場合もあります。自分がそういう時にどうやって安心したいかをシュミレーションしておく事で、自分の行動もコントロールしやすくなる気がしたのです。子供たちであれば一刻も親と会いたくなってしまうのか、先生といれば一日くらいは我慢できるのか?電話で声が聴けたらもう少し頑張れるのか。母親であれば近くに頼る事が出来る人がいるのか?急いで助けに来て欲しいのか。当たり前を当たり前のように相談して置いて、いざと言う時に冷静に動けるようにしておきたいと思ったのです。今は自分が中心となって動かなければならないのだから。

 

おしまい。