自分の居場所を探すのはネットじゃない方が良いと思う。

どんどん暑くなってきました。


まだまだ梅雨の季節なのでジメジメと湿度が高く気持ちの悪い日が続いています。誰もが少しどんよりとした気持ちになっている事に拍車をかけるように、一般人には理由の良くわからない犯罪が増えています。人間は色々な事を考え情報の海で生活していく事により賢くなったのだけど、基本的な事がおろそかになってしまいバカになってしまったのではないかと思うのです。

それが真実なのか、虚構なのかは本人しか決められない 

ネットの向こう側にいる誰かの言葉に耳を傾けて共感し、笑ったり、泣いたり、考えさせられたりする事は沢山あって、それがネットの良い所でもあるのだけど、反面、それが真実か虚構なのか判断する方法が無いという所もあわせ持っていると思います。

  何が真実で何が虚構なのか判断できないならば、ネット内で感じた事と現実で感じた事は同一視してはいけない という当たり前の事を感じます。身近でつまらない例えではありますが、ネット通販も当てはまるのではないでしょうか。サイトで語られる品質と手元に届いた商品に大きな隔たりがある場合もあります。何となくみんなそれを知っているから、複数のクチコミやレビュー、信頼できる人の発言を元に真実を予想します。(真実と言うと、大げさですが) そして、手元に届いた商品(現実、真実)とネットで得た情報の両方を知り、それらが自分の感情と混ぜ合わさった時に、やっと自分としての正しい評価ができるんじゃないだろうかと思います。そこまでやっても、自己満足の範疇を超えない個人の思いでしかないのですが。 

 

「みんなに言われた」よりも「あいつに言われた」に反応してしまう。

誰しも情報に対する思い込みがあると思います。特に相手を特定しない情報よりも、自分に向かってくる他人からの言葉に対して「悪意」として変換するのは容易いけれど、「善意」としては変換するためには寛大でゆとりのある心が必要だと思います。ゆとりがなく、沸点の低い人や独自解釈が強い人は、注意や指摘、提案もすべてバカにされたと捉えるようになってしまって、世の中は敵だらけに見えるのでしょう。多かれ少なかれ誰でもネガティブな思いを消化し、記憶から消し去ってしまわなければなければ生きていけない所があるのだけど、それが出来ないとなればストレスは溜まる一方です。
もし、自分がバカにされたのであれば、そのコミュニティーでは自分がバカにされる理由が自然と作られているはずなのだと思うのです。それは、社会の常識や真っ当な考え方と照らし合わされる事なく、その場のノリや空気にそぐわないという理由だけでもバカにする理由に足りえるという事なのです。

腕っぷしを競うコミュニティーでは、ひ弱な男性はバカにされるでしょうし、クイズ王を決める戦いの中で筋肉を見せつけてもバカにされるといった場違い感です。

もちろん賢さの尺度においてバカの基準はありますし、人に迷惑をかけたり、反社会的な事をするバカの基準もあると思います。でも、そういうのは不特定多数の人が何となくルール決めしている基準であって、一般論と言えるものなのだけど、何故か「特定の誰か」から言われた途端、あいつにバカにされた」と感じてしまうものだと思います。

 

「あいつ」が「あいつら」になる怖さ

そしてコミュニティーの中で「誰か」が一人ではなく複数人になってしまったら。そこに居座り続けるのではなく新天地を探す方がきっと良くて、それは自分にプラスになると思うのです。なぜなら、「特定の誰か=あいつ」の延長にある「みんな=あいつら」を考えるとゾッとします。イメージするなら学校のクラス一人一人からバカにされているような感覚ですよね。10人のクラスメートのうち3人(あいつ)にバカにされたとして、残りの7人(あいつら)も同じようにバカにしているかも知れないと思いこんでしまったら…。7人はそんな事は無いと思っていたとしても、3人に言われた時点で全員が同じ考えであろうと思い込んでしまうのではないでしょうか。ネット上でそう思ってしまったら大変です。10人どころか50人、100人からそう思われているのではないかと思い込んだら強力なストレスになるでしょう。そう考えてしまう前に、コミュニティーが自分とは合わないものだと見捨てた方が良いはずだと断言できます。

 

自分の居場所を探すのはネットじゃない方が良いと思う。

使い古されてはいますが、誰か一人でも味方がいたら、それで満たされる事が出来るはずなんです。ですが、ネット上で見つけるのは非常に難しいと思うのです。心のありかは現実の体にあるのだから、ネット上でフラフラと彷徨った所で現実の体に戻って来た時に蓄積されたストレスは暴力的な大きな力となって世間に表れてしまうのではないかなと思います。
「世間に対する怒り」とか漫然とした理由を発する人達は、体と心が一致した現実の状態で味方を見つけた方が良い事を分かっていながら、実行できなかった人たちなのではないかと思うのです。本当の世間を知り、本当の自分と向き合う事が出来ないのだから、味方を作る事も難しいのかも知れませんが・・・。

これからも永遠に暴力的な事件は無くならないのだろうと思います。それは人間の業ってヤツなんでしょうね。漫画のサイコパスのように、精神状態を数値化できるような世界が生まれ、精神状態も管理できるとしたら、その方が幸せなのかも知れません。大した理由もなくストレス発散のために弱い人間が傷つけられるのは本当に悲しすぎます。

 

 

 おしまい。