何も考えず働くヤツが羨ましい

雨が終わったら猛暑…
自然と戦う生活はとても疲れますね。文明の利器を使って自然との闘いを避けて快適な生活を送りましょう。人生は楽しんだもの勝ちというじゃないですか。

 

現実的に生まれた時から死ぬ瞬間まで楽しい人生を送れる人はいないですし、仕事と金の話をしていたらどこかに引っかかりや憂鬱な気持ちが生まれるのは仕方が無い事だと思います。私は自分が楽しく働いてるなんてこれっぽっちも思いません。やってもいいかなと思う仕事を泥臭くグダグダになりながら代わり映えのない日々を過ごしています。まぁ、何とかやっていけるうちは良いかなと思うからです。

しかし、何も考えずに与えられた仕事を黙々とこなす事が出来るーという能力を今では羨ましいと思うようになってしまいました。

 

何かを始める時「これはルール的に無理」とか、「やったことないパターンだから止めた方が良い。」といった発言は新しい事を拒絶する人にありがちなので、そういう人達に対しては「気持ちはわかるけれど、とりあえずやってみましょう」と説得する事ができます。しかし、「その話は◯年前にも出たけど、却下されたよ」とか「私がやってみたけどうまくいかなかった。」という発言が出てくると、私は「そ、そっか…」と力なく言うしかないできなくなってしまいます。その人がやってみてダメだったんだから、そりゃもう一度やる必要はないかも知れない。一度失敗した事は二回も失敗したくない。そりゃその通り。出る杭は打たれると言うけれど、何度もトライして失敗すると心が折れます。それは孤独な戦いであるほど顕著でしょう。仕事をしていると味方だと思った人が後ろから攻撃してくるなんて事はよくある話です。調整事は簡単にはうまく行かない。パワーバランスとパワハラ・・・なんて世知辛いのでしょう。そうは言ってもそれらの辛い経験が仕事をする上で良い方に出る場面も多いと思います。円滑に潤滑油になってスムーズに仕事が回るようになる。仕事がわかっているように思って貰える。そんな感じではないでしょうか。上司からの評価も上々になりますし、自分なりの生き方や生きる知恵を身に着けたように思えるのでまんざら悪い事でもないし、人生経験だと言えなくもありません。でも、そういう誰かに作られた枠は自分の動きを窮屈にするだけではなく、新しい事への関心も狭めてしまうと思うのです。まさにTHE 中間管理職の仕事の仕方をしている時はいつも気を付けておかないといけない事だと考えます。例えるなら枠の中で上手く仕事が出来るようになったら、枠を高くして壁を作るのではなく、枠を壊して広げていく必要が有るという事なのだろうと思うのです。

 

枠の中で上手に仕事を回せるようになった時は、「オレって仕事デキルようになった。」と錯覚する事が出来てとても便利だと思います。少なくとも上手く回せる事は大切だし評価の対象でもあるので序盤はうまく回せる事を目指す事はアリです。それを持って成長したとも言えると思います。でも、全部うまく回せているという状況になったら、それって決められた枠の中だけでうまく行っているんじゃないの?と考えないとダメだと思うのです。決められた枠の中でうまくなるのは、車に乗れるようになるのと大差ないと思います。長い間、車を使う事で訓練と経験によりスムーズな運転技術が身に付くでしょう。しかし、公道で練習している限りはレーサーにはなれないんですよね。車というカテゴリーは同じでも、走る目的も違えば、求める結果も違う・・・それを気付かずに運転技術を極めようと思っても向かっている方向は全く違う事になります。

 

 何も考えずに働けるヤツが羨ましい

私はどちらかと言えば、言われた仕事をそれなりにこなす所が重宝されています。新しいモノというよりは、決まったパターンの事を可もなく不可もなくそれなりにこなせるタイプだと思っています。いうなれば、枠の広さが周りの同僚よりちょっと広いくらい。そして枠を壊していくような気概はありません。ですが、今の部署では枠を壊す事は求められていない(本当は求められているけれど、本気で望んでいる人はいない。)ので我ながら適所適材なのだと思います。

しかし・・・メンタルをやられて戦線離脱を余儀なくされる人や、同じ部署の同じ仕事をし続け飼い殺しされて辞める人、どうやっても増やす事のできないであろう受注に対して高い目標を立てられるマネージャー などなど、枠を壊す事をせずに枠の中で頑張ろうとして苦しい仕事をこなしている人たちがいました。その姿を見てしまったら、決められた枠の中でうまくやっているだけで大丈夫なのか?という不安に駆られたのです。

 

ヤバイと思ってしまいました。全力で働けなくなってしまいました。
若い時は冷静に周りを見れていなかった事は間違いありません。多少の残業で会社を辞めるなんてメンタル弱いなぁとか、子供が出来たら仕事回せないんだから辞めればいいのにとか。自分が思う枠の大きさを他人にも当てはめて、その枠で働けないなら他人はもう少し頑張れよとしか言えないと思っていました。しかし今は「与えられた枠を破らなければならないタイミングになった時、枠を破る準備をしていなかったから辛くなってしまうんだ。」と思うようになりました。もし強固にしてしまった枠を壊さなきゃいけない時が来たら、自分はうまくやれるだろうか・・・そう思うと、目の前の仕事だけを見て頑張る事が出来なくなってしまったのです。目の前にある事だけをうまくやろうとすればするほど、全力でやろうとすればするほど、別の事には目がいかないはずです。仕事の事だけじゃなく、家庭の事も、自分の体の事も、親の事も、友人の事も。

 

何も考えずに目の前の事をひたすら頑張る事が出来たあの時は、自分に充実感があったしそれで良いと思えたんです。今でもそうやって働いられたら、こんなに仕事がシンドイと思う事は無かったように思うのです。何も考えずに走り続けてポックリ行ってしまう方が幸せだったと思うような事がありました。一生懸命働いているのに何故家族は分かってくれないのだろうと思う事がありましたし、それを悲しく思い、面倒に思う事もありました。しかし、今の私にはあの頃の自分に戻る事は出来ません。

一度、冷静になってしまったら、もう昔のように思う事は出来なくなってしまったのです。年齢の事もあって、もがきながら仕事を続けるだろうと思っています。それはそれで、本当に辛い事だなと感じ苦しくなってしまった自分がいるのです。それでも、「仕事を取ったら自分には何もないんだ」とは言いたくないのです。

 

何も考えずにがむしゃらに働けるヤツは羨ましい。でも、今の自分はそうなりたいわけじゃない。相反する思いを抱きつつ不惑になっても迷い続け、悶々とした毎日を暮らすしかない自分がいるのです。

 

おしまい。