それでも年始は家族で集まるのだった

今更ですが、明けましておめでとうございます。


ダラダラとした正月を過ごしました。特別な理由もなく人が集まるだけで、今はダラダラしててもいいんだなという錯覚に囚われ、自分だけ何かを頑張るのも面倒だなぁと思いあっという間に休みが終わってしまいました。あぁもったいない事をした。

纏まった休みのタイミングでやりたいと思っていた事って、なかなか達成できないというのが常なのです。家族の事を言い訳にしてちゃんとやらないしやれない…。

 

世間では家族や親戚よりも自分の人生を大事にするべきという意識高い考え方もあるようですが、日本人らしく家族と共に過ごしました。

正直なところ、私の親も妻の親も年金生活に入り、フルタイムでは働いていないのだから正月に拘らず、空いているタイミングで休みをとって顔を見せる方が無駄はないと思っています。しかし、どうしても避けられない事情があります。


①子供達が小学校に通っている。
②妻もフルタイムで働いている。
③子供達に従兄弟たちを会わせたい。

 

という点から、全員が休みを取るための調整を行う事の煩雑さよりも、混む事が明らかな正月の休みに一族が揃う方を選択してしまうのです。平日も休日も夏休みも冬休みも子供たちが優先になってしまう・・・子供を持つと合理性だけではやっていけないようになるなぁと思います。大人だけで集まった所で楽しい話で盛り上がるわけでもなく、ダラダラと無駄な時間を過ごすー駅伝でもじーっと見てね・・・-という事は分かりきっています。酒とおせちが振舞われた時点で建設的な何かが起こるとは思えません。ましてや仕事の話なんて野暮ですから。

そう思いながら、自分の子供たちが大きくなり、大学生や社会人になる頃、「たまには実家に帰ってこい」と言ってしまうのではないかと心配です。それは自分が40代になり、親の世代が60代~70代となってしまうと親孝行が顔を合わせる事だと理解してしまうからです。モノや写真を送られるよりも、手間をかけて会いに行くという事がありがたく、嬉しい事なんだと肌で感じます。本当はいつでも良いのだけど、盆や正月と言ったイベントのタイミングで家族と会うというのは分かりやすくて、記憶に残りやすいからとても都合が良いのだと思います。こういう事って全世界共通なんじゃないかなぁ…合理性だけでは図れないトクベツな部分と言うのはどこかに残っているわけで。

 

・・・

 

子供たちは正月休みと言っても、「学校が休み」という気分しか持っていません。自分たちの事を考えれば大学生になるまでは、それくらいの感想しか持ちえないと思います。休みがあるからここに行こう!とか休みがあるからこれをやろう!とか。子供のうちの一番の制約はお金の問題ではないでしょうか。身近な所では経験できない事を経験するためには外に出る必要が有ります。どうしても自分で働く事が認められていない以上、親のお金にすがる必要が発生します。これがまた難しい。自分で稼いだ金を自分が使いたいように使うというのが一番合理的なのだけど、親の進めで何かをさせようとした場合、子供たちは「面倒な事を強制された」と思うし親は「高い金を払っていかせてあげた」となってしまう。あゝ無常。

今の子供たちも、昔と変わらず同年代の子供たちと遊んだ事が一番楽しい思い出になると思います。何をして遊んだかはその次です。目新しくもないゲーム(トランプやUNOなど)であっても、その場の雰囲気が楽しいものであれば、まるで遊園地に行ったかのように楽しい思い出にすり替わるのです。大人でも同じような事はあると思うのですが、子供たちの順応性や感受性と同じレベルになる事は難しいと思います。

 

親と子で思い出作りも必要だと思いますが、同年代の子供たちの付き合いを作るのもいいものではないかと思います。幸い、物怖じしない子供たちなのでサマーキャンプなんかのしがらみのない子供たちの集いにも参加するのですが、学校のような出来上がった関係ではなく見ず知らずの子供との交流と言うのは大きな刺激になるし、子供が成長できる一因にもなります。そういったイベントは一期一会となってしまう所もあるので、親戚くらいの距離が丁度いいように思います。(もちろん、親戚同士、親戚の子供同士が良好な関係を気付けそうな場合に限ります。)

 

ウチの親戚同士ではお年玉を渡さない事になっております。
渡すものはプレゼント的なモノにしようという事で。

 相場は小学生低学年が2000円~3000円、高学年が3000円~5000円くらいのようです。サイトによってバラつきがありますが、妥当かなと思います。が、人数が集まると結構な出費になってしまうので渡さないという事で。

 

お年玉の由来・意味 お年玉の起源はお金じゃなく餅だった! [暮らしの歳時記] All About

 

今年もそれなりの日常を大事にしたいと思います。

 

 おしまい。