最近の若い人たちは何ものかになろうとしているのだろうか

若い人たちはどれだけ歳を取ったら、もう若くないと思うのだろう。
若い人たちはどれだけ歳を取ったら、今の自分で良いと思えるのだろう。

 

最近の若い人たちが成長することに必死すぎる。 - Everything you've ever Dreamed

 

「何ものにもなれなかった」と人生を振り返る中高年知人に対して「あなたは真剣に何かを目指したことあるのですか?」と詰問しました。 - Everything you've ever Dreamed

  

私が歳を取るスピードが速くなったように感じる理由は、世の中のトレンドが目まぐるしく変化すると同時にその変化に追従できない自分がいるからだと考えています。
追従できない最大の理由は「興味」です。近年は何か新しいもの(サービス)が始まる時も、軽い内容のものが多くなりました。とりあえずサービスを始めて人気が出れば機能を追加していきますよ・・・と。そうなると本当に流行るものなのか、直ぐに廃れてしまうのか判断できません。掘り出しものを見つけたいというお得感が原動力であれば、とりあえず何にでも飛びついてみて体験をしてみたらいいのでしょうが、この玉石混交のご時世では玉を拾い上げるのに、相当の労力が必要な事はあきらかです。めんどくさい。そう感じたら、その労力は別の事に使った方が有意義なので、一気に「興味」が失われます。

ジャンプでアンケの結果が悪かったら10周で打ち切り!みたいな、そういう時代なんでしょうね。「数うちゃ当たる」を実現するために、低コストで新しいものをバンバン世の中に出していくから、選ぶ方は選択肢が増えた分だけ分散します。必然的に当落線上にいるものの数も増え、せっかく自分で選択しものが、あっさりといなくなってしまう事もしばしば。

 

そんな時代の流れの中で、若い人達は流されない自分、ぶれない自分を作り上げたいと感じているように感じます。ただし、イマドキはコスパは良くないといけない。おっさん達が考える成長は地道にコツコツと積み上げる事を感じてしまうけど、それじゃぁコスパが悪いし積み上げたものが使い物にならなくなる事を考えると、おいそれとまねる事ができないと思う。だからコツコツ積み上げる事に「興味」が向かないんじゃないだろうか。

さらに若い人達から見て会社や社会に何のために働いているか分からないおじさんたちがあふれている事も理由ではないかーと思ったりする。いや、本当に何をやってるか分からないおじさん達もいるけれど、目立たない所で高いパフォーマンスを上げている人もいて、若い人たちにとって、そういう人達がどんな働き方をしているかにはさほど興味を持てないのではなかろうか。そして短絡的に必要 or 不要の2択で判断するならばいらないと決めつけてしまっているようにも思う。どこでもコスパが悪いと悪になっているような気がする。

 

 

いずれにしろ、若いうちは自分を過大評価もするし、過小評価もするのでアンバランスである事は間違いないと言える。だから社会や会社には色々なタイプの人がいて、今の自分がどの辺の立ち位置にいるのか正しく把握できれば、本当の成長が期待できるような気がする。

 必死に成長をしようとする(何ものかになりたい)若者と何ものにもなれなかった中年はどこかで繋がっているようにも思えます。イチロー選手のように一般人から見れば途方もない努力を楽しみながら続けられる才能があるから、何ものかになれた人がいて、反面、ホリエモンのように新しい事、自分が気に入る事を他人を巻き込みながらやってみる事で何ものかになる人もいたわけです。

どうやっても基本的な才能無しには何ものにもなれなず、目の前の小さな成長の積み重ねだけでは小さくまとまってしまう事は間違いありません。身も蓋もないけれど、自分に合った才能と才能の伸ばし方(努力)の方法を知っていなければ何ものかには届かないでしょう。自分の事をうだうだ分析するくらいなら、日本で成長!成長!と言っているくらいなら、海外に出てしまった方が圧倒的に成長の密度が高くコスパが良いのかも知れません。(今ならそう思えるけれど、若い時に行動できたかと言われれば無理でした。だから何ものにもなれてはいないのだけど。)

 

何ものかになるために、必死で成長しようとする若者たちに。
何ものにもなれなかった人生だけど、そこそこ満足できる人生を送るのもまんざら悪くないよと言ってあげたい。コスパの悪いものも引き受けて人間としての成長をするのも必要だと思うから。

 我が子たちには、どんな若者になりどんな大人になるのか分からない。何ものかになって欲しいとは思わない。でも、それなりにやって満足した人生を送って欲しいと願うばかりです。

 

若いっていいなぁ。

 

おしまい。