相手の事を考えろって言っちゃダメだと思う

考える think

相手の気持ちになって考えれますか?

子供たちが誰かを傷つけてしまうような暴言を吐いた時に「言われた方の気持ちになってみなよ。」と言ってしまう自分がいます。そんなキレイ事を子供たちに言ってもわかるわけなくて、わかったふりだけがうまくなっていくと感じます。自分が会社で言われた時、「表面上は考えが足りませんでした。」と言うけれど正直イラッとしかしません。「資料を読む相手の事を考えろ」とか「もう少しちゃんと考えろ」としか言わない人は指摘している側がちゃんと説明できていない時点で力量が知れています。

もちろん必要なスキルなんですけどね。


「相手の事を考える」と言っても相手の心を読む事が出来ないので、自分の中にある「普通、当たり前」と比較して相手の年齢や性別による補正をかけて相手が考えている事を推測するしかありません。イマドキは「普通、当たり前」が通用しなくなり、個人の考え方や主張に重きを置かれるようになりました。少しレガシーな発言をすると多様性を女性を軽視している!と糾弾される世の中になってしまったと思います。(やんわりとスルーする力も失われているような。)


在日外国人も増えるばかりなので日本的にな「普通、当たり前」を押し付けられなくなっています。そうなると「相手の心を考える」なんてかなり難しいでしょう。

結局はわからないことを認め合う必要があるという事が現実解なのでしょう。相手の事をわかろうとするんじゃなく、相手の事がわからないからちゃんと聞く・確認するという手法を使うようにするしかない。でも、お互いに分かり合えない事が前提に無ければ細かい事まで話はしないので日本人同士ではうまくいかない事も現実だと思います。

 

お客様と業者という関係だと更に難しい

ビジネスの現場では相手の事に気が回る方がビジネスでは気に入られるし仕事もうまく回って行くことが多いです。これは世界共通だと思います。可能な限りお客様の情報を収集し推測を重ねお客様の心を考えた挙句、プラスワンのネタを持っていく…私には到底できない芸当ですが、どんな関係性だったとしても、自分の思った通り相手が動いてくれたら嬉しい事は分かります。多くを語らなくともも思った通りになるなんてすごいですよね。期待値の問題もあるけれど、お客様に対して自分を理解してくれたという感覚(結局は錯覚ですが)を起こす事ができればビジネスを有利に進める事ができるはずです。

 

相手の事を考えるとは相手の期待に応える事

相手の事を考えろと言うのは、自分の期待に応えろと言っている事だと思います。私の気持ちを分かってくれない!と他人を批判する人は自分の期待通りにならない事を指摘しているのでしょう。(誰も相手にしないと暴力に訴える輩が出てくるから更に厄介です。)100%の期待に応えてくれる事を最初から求めること自体に無理があって、0%でも仕方が無く、数%でも期待に応えてくれたらラッキーと思う方が健全になれると思います。一流のプレイヤーが良い成績を出すことも「誰かの期待に応えたわけじゃなく、自分の期待に応えただけなんだ。」そう考えた方がプレッシャーも減るだろうし見ている側も成績が出せないプレイヤーの批判をする事も減るんじゃないかなぁ。

 

 相手の事を考えろという無駄な発言

子供に対してどうやって伝えようか。と考えた時、子育て指南でも言われている「I think that~ :私はこう思うんだけど。」を使っていく必要が有るなと思いました。他人の気持ちにはなれないので、とあるシチュエーションになった時、パパ(私)ならこう考えただろう と伝えるのです。そして子供たちが同じシチュエーションになったらどう思うかを考えて貰います。期待する成果は「自分が嫌な事は相手にしない」という最低限のレベルでしかないのだけど、考える訓練をする事で子供たちの思考が広がるのではないかと思っています。家族であっても私はそっとしておいてほしいタイプなので、妻のように構って欲しい事はありません。家族であってもその気持ちを直接聞かないと分かり合えないんです。

子供たちに言わなければならない事は、「相手の事をよく観察してみて」なのかも知れません。色々な事を言語化するのが難しい年ごろですから昆虫や動物を見るように良く観察した方が仲良くなれるように思います。

大人でも同じだと思うのですが、ナカナカ本心は見えないですからね・・・

 

おしまい。