挨拶は気分でするもの?

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今の子供たちは挨拶が苦手に見える

自分はちゃんと挨拶をする子供だったと思っている(大人たちがどう思っていたか知らないけど)。今でもそれを覚えているのは、子供の時から挨拶は不思議な習慣だと思っていたから。挨拶をするだけで大人たちはしっかりした子だと言ってくれるし、愛想のいい子だと言ってくれる。親や学校が挨拶をしろというから、挨拶をしていただけなのに。だから、挨拶が気持ちがいいとかそういうものは一切なくて、当たり前にするものだったし子供の義務だとも感じていたというのが本音だった。

 

昔も今も挨拶をしない人はいる。子供の頃、無差別に挨拶した結果、怪訝な顔をする大人がいて、えっと・・・なんか悪い事しちゃった?みたいな気持ちになることだってあった。(今でもたまに発生する。)もちろん、挨拶を返す義務がない事を知っている。自分だって虫の居所が悪くて話しかけられたくないような時は無言で立ち去るかもしれないしね。

 

今の子供たちは賢くなったせいなのか、親が挨拶をしなくなったせいなのか、はたまた知らないおじさんには声をかけちゃダメって言われているから、挨拶なんてとんでもなくリスキーな事と考えているのか・・・少なくとも大人に対して挨拶をする機会が減っているように思う。確かに子供から見れば隣に住んでいたとしても、〇〇ちゃんのお父さんという認識がなければ、徘徊している不審なおっさんと変わらないからね。
娘を持つ親としては複雑な心境ではある。

 

とりあえず、挨拶はした方が良いと思う

私は営業職ではないけれど、基本的に何回か目を合わせた事がある人に対しては挨拶するようにしている。ほとんど癖になってしまったけれど、若い頃はプロジェクトルームやお客様先で見かける人物の素性が分からなかったから、何となく挨拶をするしかなかった(お偉いさんを無視しちゃったら、後々面倒な事になりそうでしょう!)。子供の頃から苦手ではなかったので、その方が手っ取り早かったという理由も大きい。

初見は完全に無関係な人の可能性もあってジャッジが難しいので、数回見かけたら関係者認定するというのをルールにしている。幸いな事に挨拶をして怒られた事はないので、これからもこのルールを続けていこうかなと思ってる。
 

挨拶をしない自由もある。こちらから挨拶をしても無言な人もいる。
それでも、私が挨拶を続けているのは、気分のためではなくメリットがあるからなのだ。

 

よく見かける人になっておきたい

仕事場で挨拶をするのは存在をアピールする事ができるのが大きなメリットだと感じている。よく見かける人は心理的なハードルが下がるので、一緒に仕事をする必要があったり、問い合わせや頼み事をする場合に初見よりもハードルが低くなる(それこそ、伝言だけでも)。あとは、ちゃんと存在している=ちゃんと仕事しているように思われるから、評価も上がりやすい(はず)。

 

一方、挨拶をしない人もいるのだけど、仕事の範囲が狭く新たにかかわる人がほとんどいない状況が続いている人ほど、そういう傾向が強いように感じる(恥ずかしがり屋かも知れませんけど。)
それでいて、自分の事を理解してくれていると思っている人が多い気がする(個人的な感想)。一歩も踏み込んでいないのにアンタの状況なんて知らんよと言いたくなるが、仕事を振ろうとすると「なんで私の状況を理解していないんだ」とか言われ、聞いてませんけど?という返しもできなかったりする。挨拶すらしないのに、コミュニケーション取れていると思っているあたりが何か違うんだよな。それでいて報告書とかもよくわからないし。

 

挨拶はただのスキル

挨拶はビジネススキルと思ってしまえば楽になると思う。パソコンを使うのと一緒。本当はもっと違う意味があると思うけれど、割り切って考える方がシンプル。シンプル イズ ベスト。
自分の子供たちに対しても、心の在り方とか、感謝、相手への思いやりとか考えさせようと思いましたが、やめました。まずはスキルとして身に着けてしまうように。だって「おはよう」という決まった挨拶は、朝起きて誰かと会った場合のいろいろなシチュエーションを究極に簡略化したものだと思うから。
大昔から「おはよう」で決まってたわけじゃなく、多くの人が納得して決まったルールが「おはよう」という言葉でしかないわけで。
もちろん、Good Mornig! と言われても良いけれど、「おはよう」の方が慣れているというだけの話。

 

人間も動物だから他人を無視できない

犬や猫だって挨拶をする。

犬や猫は匂いを嗅いだらお互いの体調まで把握できる(らしい)よっぽど人間より優れている。でも人間は自分の情報を知られる事を恐れる生き物なので今くらいの方が丁度良くなったのだろう。それにも関わらず多くの人は自分の事を知ってほしいと思っている(ように見える)から人の心は難しい。SNSに映える投稿をするのはそういう事だと思うし。

心配なのは「自分の事を理解してもらえない」というセリフを普通に聞くことが増えた事。「自分の事を話してもいないのに理解して欲しいと思う人」と「ちゃんと聞かないのに理解しているつもりの人」が増えてデストピア感が出てきたような気がしている。

 犬や猫のように匂いを嗅いだだけで相手の素性を知る能力を失ってしまったのだから、残念ながら挨拶で存在感をアピールし、人の心を打つ話ができるようにになれば、もしかしたら「自分の事を理解してもらえるよう」になるかも知れない。しかし進化の過程で不要となった能力を再び獲得する日がくるとも思えないけれど。

  

おしまい。