群れて生きる子供たち

f:id:natsuno_sora:20200922160232j:plain

集まる子供たち

平日はわらわらと子供たちが集まり学校に向かっていく姿を見かけます。
片田舎のこの町では集団登校が行われていて、集合場所に集まるといくつかの集団が形成され、ひつじが小屋に追い立てられるようにゾロゾロと歩いていく。

弱い子供たちが群れを作って登校を行う仕組みは良くできています。アメリカのようにスクールバスを使ったり自家用車で学校まで送迎するというのは日本ではいろいろな面から合理的ではないと思うのでバランスの取れた方式ですよね。

もちろん、狂人による襲撃に対しては無力なので、不審者が出るたびに地域の大人が警戒するという場当たり的な対応でも仕方ないと思う派です。


学校のルールがあるにしろ、大人に言われなくとも集団を形成するのが子供らしいと思いませんか。コロナやインフルエンザもお構いなしに、別の学年の子供たちともいつの間にか集団を作ってしまう。大人から見るとすごいコミュ力です。

ただそこに居合わせた子供たちの気分が乗れば集団が形成される。深い理由なんてなく、理性に従って行動するには幼すぎる彼らにとって本能に近いものだろうと思えて仕方ありません。(例外はあるけれど、犬でも猫でもそれは同じ事が起きている。)

 

理性じゃなく感覚で集まる 

何人かの子供があつまれば鬼ごっこが始まって奇声が聞こえてくる。そして小競り合いもあれば笑い声も聞こえてくる。自然とコミュニティーの作り方やお互いの距離の取り方、誰が好きだとか嫌いだとか、自分が何を好きで何を嫌いなのか…理性ではなく感覚や感情として獲得していく・・・そういった能力の獲得機会はひどく減っているにも関わらず理性的な人間を求められるようになっています。

遊び場が無くなる代わりに遊び道具は増えていて、テレビもYoutubeスマホもゲーム機も様々なものを選ぶことができるのだけど、ネットを介したコミュニケーションが必要になっています。大人も子供もつながりを求めているのだけど、本質的に大人と子供では相容れないものだと思うのです。

子供たちは様々なものを幅広く受け入れようとします。それは経験不足や無知が原因ではあるけれど、本質的に群れを作りたがる子供たちの性質が一因ではないでしょうか。

それを阻害する事は子供の成長を阻害する事にもつながるため、単純に禁止する事では解決しません。子供たちもそれを望んでいないでしょう。だから対策としてネットリテラシーを高める事で、犯罪のリスクを回避しようとしていると感じます。

別の側面では子供が早熟する事が求められるようになってしまいました。大人と近い場所にいるならば、大人に近い(大人の狡猾さを知った)考えを持つ必要があるからです。しかし残念ながら肝心の親がリテラシーを獲得できていない場合も多く、歪な状況のまま子供たちは大人になっていくしかありません。

 

集まってはいけない子供の皮をかぶった大人

大人と子供の境界があいまいで賢い子供とバカな大人が入り混じる世界。現実世界も変わらないのだけど、ネットの世界は繋がるはずのなかった人物同士を繋げてしまう恐ろしさを含んでいます。

ネットの世界で集団登校はできません。集まる事もできません。狂人から守るすべもありません。群れたい子供たちを都合よく動かす方法はありません。子供たちが安全に群れを作り経験値を高める場所をどうにか確保していく必要があると思います。

「あなたは19歳以上ですか?」なんて年齢確認は本当に意味がない。子供の世界に入り込む悪い大人には制限が課せられないですから。

 

子供たちは社会で育てていくという考え方は本当に重要だと思います。子供向けの対策に終わりはなく常に変化が求められると思うのですが、もっと現実を見た方が良いですね。

そして大人になって社会に出た時、会社という群れに入った時、戸惑ってしまわないように知恵を付け、強い理性を持てるようになって欲しいと思うのです。

 

 

おしまい。