次の10年を思う

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未来を考えると現実が近づいてくる。

次の10年は一体どんな様子になっているんだろう。

コロナのせいで世界は激変したのだけど、まだ当たり前の日常というのが心の中に残っていてその状況に戻るような事を夢見ている節がある。体力のなかった飲食店は閉店し観光業は大打撃を受けひっそりと自宅にこもっている。

コロナが収まったら以前と同じように生活できるのかな。雨後の筍のように多くの店が復活するのだろうか、日本中を飛び回る旅行者が増えるのだろうか。
予期せぬ事が起こったのだから、予期せぬ新しい未来があるかも知れない。でも、そんな明るい未来を夢見る余裕すらないのが現実。

先の見えない漠然とした不安を考えながら、10年後の親はどうなっているのだろうと心配になった。自分は立派な中年で10年経ったら50代半ば。親は80代。上の子は大学生。未来は決まっていないというけれど、決まっている未来もある。死ななければ必ず歳をとるという事。自分の体力が衰える中、親の介護が迫ってくるのを感じる。自分だってどうか分からない。今の仕事が続くか分からないし、病気にならないとも限らない。
少しはコントロールできると思っていた未来だけど、全くそんな事は無くて毎日毎日何かしらの決断を迫ってくるんだよなぁと感じてしまう。

好きな事をして生きるべきだろうけど

インフルエンサーは異口同音に、自分が好きなように生きるのが一番とか今がこれからの人生で一番若いとか言うけれど、何かを成し遂げたいという大層な思いは無く、何者かになろうと思うのはただの憧れでしかないわけで。全てがちょうどいい感じで回って、ちょうどいい感じで歳を重ねていくのが本当の理想なんですよね。もし例えるなら野良猫のように。彼らも社会があるから好きなようには生きていないと反論するかも知れないけれど、気ままに見える仕草が憧れを感じさせるから。

いくら自分の頭で考えたって、周りの人の事を無視するわけには行かない。家族がいるってのは自分が行動した結果だし、それを蔑ろにして自分のやりたい事をやるなんて虫が良すぎる。そして自分のやりたい事で生きていくのは、自分のやりたくない事をやらずに生きていくという意味とは違うし、やりたくない事が無くなる事はない。誰かに頼むという方法があったとしても、それは対価を払う必要があるわけで単純には解決できない。

それに加えて、やりたい事をやるのは健やかに生きることに繋がっている。やりたい事を続けるためにはどうしても健康でなければならないし、気力、体力が充実するような生活の基盤が必要になってくる。その場限りのやりたい事なら無理をすれば叶うかもしれないけれど、そんな刹那的な生き方の人ばかりになったら世の中は素晴らしく殺伐としているに違いない。

未来は明日の天気を願うくらいで

親の将来も心配だし、子供の将来も心配。会社でさえ将来の事を考えろと言う。そんなに背負えないよ。いくら心配しても思ったような未来にはならない。ゲームのようにセーブポイントを用意できるなら、何度も未来にチャレンジできるなら未来を願う事に意味があるけれど、それは現実じゃない。夢は叶えるものだと言った歌姫がいたけれど、未来は願うものじゃなくて今の延長だ。未来を願うのは明日の天気くらいにしておこう。今日、明日、明後日、明々後日…積み重ねた結果が未来になるだけだから。

 

10年後。何しているか分からないけれど、心と体が健やかな日常が続いている事を信じて今日の努力を続けていこう。そう思うのです。

 

おしまい。