正しい行動と正常な動作

f:id:natsuno_sora:20210607154850j:plain

考えて行動する事の難しさ

40代半ばの協力会社の方が「休暇を取っても良いか事前に確認したい。」と聞いてきたので、事前に確認って…?とためらいながら、前の職場では休暇を取るのがよほど大変だったのだろうと想像すると同時にこの人は要領が悪く生きづらい人なのだろうなと思う事にしました。

 

 色々な職場や上司がいるため、どのような行動がが正しいか決める事はできませんが、「休暇を取って良いか」と聞かれ、業務に支障を与える事が無ければNGを出す権利はなく、休暇の理由を聞く事も許されてないというのが個人的な認識です。むげにNGって言ったらパワハラですな。

という事は、事前にに周りの関係者とコミュニケーションを取り休暇を取っても問題ない事を確認した上で報告してくれればいいやん。という事になります。もちろん無断で休暇を取られるのは困るので、報告してもらう事は必要ですが、やりようってものがあるでしょう。何も情報もらえないまま判断を求められても困るよ。

 

 正しい行動と正常な動作

どこにでも「何でも聞いてから行動するマン」と、「何も言わずに勝手に行動してしまうマン」がいます。どちらがマシか一概には言えないけれど、私の経験則では職場環境が合わなかった場合、周囲に重大な害を及ぼす事は多いです。

職場によって報告重視 or 行動重視が違うのはごく自然な事。問題を生むことがビジネスとして大きなリスクになり得る場合は報告が重要視されるし、多少の問題に目を瞑ってでもガンガンビジネスを進める必要がある場合は行動重視になるものです。これは社風や組織、仕事内容、上司の考え方まで様々な要素により作られるので、前の職場では〇〇だったと言われても今の担当者が合わせてくれる事は無いでしょう。環境や状況によって(社会人としての基本行動は別として)正しさは変わってくるので、何が正しい行動なのか注意深く観察する必要があります。

人は基本的に正しいと判断した行動をとるものだと私は思っています。「正常な判断ができなくなっていた」という表現を見かけるのですが、程度の差はあれ、その人自身は正しいと判断して行動したのだと思います。(悪いと判っている犯罪者はさておき。)正しいと思ったが正解ではなかったので異常な行動とみなされたわけです。しかし、その人にとって間違っていると思いながら行動した結果が他人から見た正解であった場合、正常な行動をとっていたと判断される事になります。

 

 自分が考える正しい事と周りが考える正常な事は、ちょっとズレた状態になっていてズレが少ないほど人生は生きやすいのではないでしょうか。空気を読むことと似ているようで少し違う、郷に入れば郷に従えということわざに近いかも知れません。

正しい事は心の中にあって他人に対しても多少の違いは許容できるのに、なぜか正常か異常かという違いになると、小さく些末な事であっても正常である事を求める気がするんですよね。それに対する良し悪しは語れないですが、それがある種の権威や正義感と近いもののように思えます。

 

自分を客観的に考えられるか

正しい事をしたはずなのに、注意される気持ちはどのようなものでしょう。客観的に対応できる人なら冷静に改善策を考えられるけど、頭に血が上ってしまう人は…。人によっては、陰で恨み節のように愚痴を言ったり暴言を吐くような人もいるのですが、正直そういう人とは付き合いたくもないですし、何を言っても伝わらないんだろうと思います。正しいと思っていた事が異常と判断されたなら、正常な行動にする以外に方法は無いですよね…。他人から正しさを否定されるのが怖い人は全てを他人に確認するし、自分の正しさを絶対的に信じている人は勝手に行動してしまうのかなと思います。でも、どちらかに全振りされている人は少なくて両方の特性を持って自律的に動いているのが普通です。

自分が置かれている環境や自分の役割、立場、利害関係など自分が指揮官となった気持ちで客観的に捉える事ができれば、自分が持つ正しさと環境が求める正常さを近づける事ができるのではないかと思います。

ただ、環境が求める正常さはヨソから見たら異常だという事も多々あるので、自分の中の正しさは大事にしておかないと壊れてしまう可能性もあるので要注意ですね。

 

おしまい。