愛の無知

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他人を批判する事の難しさ

口は災いの元とはよく言ったもので、他人を批判した所には何かしらの不都合が現れる。自分の考えを理路整然と述べるのであれば、言論の自由にあたるはずなのだけど、感情を含めて他者を批判するとアッとゆう間にハレーションが起こってしまう。

そんなに怒らなくても・・・
いや、怒ってないけど!!

 

自分の感情をコントロールできない人は、気に食わないから批判しているという状況を理解できていない。嫌われる上司の典型でもある。例えそれが的を得た話であっても感情で話している人には共感できないと思う。とは言え、上に上がる人は熱意と言う形で感情を爆発させてきた人が多いのでコントロールできない人が多いのは当然なのかなと思う。そりゃ老害も増えるさ。

気に入らない人の事なんて興味を持たなければ良い。そう思うのだけど、感情が高ぶると自分が正義マンになってしまうのだろう。自分と同じ思想にならないと納得しない。又は周りの人を仲間に引き入れるために気に入らない人を貶める話をする。困ったものだ。

 

インフルエンサーから上司、友人を見回しても、言論や思想の世界に正義のヒーローはいない。と思う。アイコンとなる人がいたとしても多くの場合は使い捨てになっている。社会的なムーブメントになれば何かが変わるかも知れないけれど、それはヒーローが現れたからじゃない。逆にヒーローに頼っているようなムーブメントは直ぐに飽きられてしまうと思う。アニメのヒーローが暴力を働くように、ネットのヒーローは誰かを批判しなくてはいけない。それが正義なのか公平にジャッジできる神様はいない。神様の威を借る一般人が山のようにいるだけで。

 

愛の無知

相手が嫌がる事をした時に「愛のムチ」と発言する人がいるけど、世の中から消して欲しい言葉の1つだと思う。逃げ口上で使われる「愛情表現」も。ついでに言うなら「誤解させたのなら誤ります」という釈明も。

それを聞いて誰が納得すると思うのだろう。理解に苦しむ。逆に納得させられる人はもっと自分自身の事を頭で考えたほうが良い。嫌なものは嫌に決まってるのだから。

 

最近流行りの謝罪しぐさは、謝罪の対象が「不快な思いをさせた事」だとハッキリしているのに、正しく理解できないお前が悪いというニュアンスを含めて謝罪したフリをする。まともな謝罪ができない人は一対一の関係であればさっさと疎遠になった方がマシ。できないなら避けて通るのがお互いのためだと思う。こういう事って第三者が指摘するのもグレーだし。

残念ながら、スマホの向こう側にいる誰かに発信している有名人はそうはいかない。映像は一方通行なのに、見ている人は自分に言われたと感じてしまうから。昔ならテレビに向かって文句を言うだけだったから何も変わる事はなかったけど、今はつぶやくだけで仲間を集める事ができる「あー、俺も不快だったわ。」
失言を燃料にする炎上はいくらでも燃え上がる。そして、着火した有名人は「お前、誰だ?」っていう人に対しても謝罪しなくてはいけなくなる。そして対象者の裾野が広がっていく。こういう時に全員に伝わる言葉は「ごめんなさい」しかないのかも知れない。とはいえ、みんなが納得する謝罪とはどんなものか決められるはずもない。

 

失言は無知から始まる

無知から始まる言動に対して世間は許してくれないようになったと思う。
バイトテロみたいな本物のバカは存在して自分の行動で社会的に抹殺されていく事に対しては仕方がないと思えるけど、バイトをしているのに完全に無知な人間とは言えないし、雇う側もバイトが無知だったから仕方がないっす と言って責任から逃れるのは無理筋でしょう。常識レベルとして、SNSに投稿して炎上したらバイト代の何倍も損害を与え自分の人生を破壊し二度と真っ当に生きられなくなるって事を教えてあげたら、防げた可能性はあるので中学とか高校で常識レベル検定とか作った方が良い世の中になりそう。(ヤバい行為が闇に隠れる事は結果的に良くないけど。)

 

これくらい知っている、知ってて当たり前という感覚が以前より変化してる。ネット影響で知っているべき前提知識の量は膨大になっているのに、それに対して何も調べず無知のまま誤った事を話してしまうと途端に批判の嵐を浴びる事になってしまう。そんな事も知らないのか って。でも誤った事を正しい事のように語る人がいるせいで、「正しく伝えられている事」と「誤って伝えられている事」の両方とも知識として知っている必要があるから、どこまでいっても歪な状況は変わらないのでしょう。みんな信じたいものしか信じないのだから。

自分が正しいと考えた事の根拠と、誤っていると考えた時の根拠がどういうロジックで成り立っているか俯瞰的に考える頭だけでなく、ロジック的な正しさと感情のバランスは単純ではない事も忘れてはいけない と思うのです。

 
SNSは誰がみてるか分からないですからね。

おしまい。