ともだちを見つける前にじぶんを見つめる

友達の作り方がわからない。 - orangestarの雑記

いつから自分のともだちを意識しなくなったのだろう

アジコ先生(id:orangestar)のブログを読んでうなずくしかなかった。ともだちの作り方が本当に分からないという事実を。会社に勤めていて多少なりとも他人と交流がある事を考えると、ともだちを作る可能性はわずかに残っているように思う。きっとそれが自然にできたのは25歳くらいまでだったように思う。入社1~2年の頃。

会社に入ったのはともだちを作るためではない。基本的には給料をもらうために集う場所だろう。たまたま会社に集まった同世代は同期という言葉になり、会社の関係者は先輩や後輩、上司という言葉で括られる。その時点でともだちのという言葉の出番は無くなっていた。ともだちという言葉で語れる存在はどこを見渡しても存在しなかったし、作るべきはともだち百人じゃなくて人脈百人のほうだった。

学生時代の繋がりが続いていた頃は友達と言えそうな存在が確かにあったと記憶してる。就職したタイミングでそれぞれの社会に向き合うようになった。私たちは新しい日々に追われて働く事はこんなに大変なんだ…とやっと大人に近づいた気がしていた。そして気付いた時にはともだちは疎遠になっていて声をかけるのも憚られた。それを寂しく思ったのは一年くらい経った時だったと思う。色々な地方から集まった集団だったから卒業した時には散り散りになっていたから、物理的に集まるのはかなり億劫だったしね。

ともだちと言える存在が認識できたのは、あの時が最後だったように思う。

ともだちを作る場所ってどこ?

Q:友達の作り方がわかりません、どうしたらいいですか?
A:とりあえず友達を作ってみてはどうでしょう。

時代も変わっていった。もちろん良い方向に。

個人的な事を聞くことがタブーとなり、プライバシーを尊重するようになった。会社にいたら何かにつけてセクハラ・パワハラにハラハラするようになってしまった。ハラハラしたくないから、後輩にたわいもない話をしようとしても「恐れ入りますが、個人的な事を聞いてもよろしいでしょうか」みたいな気を回す事が必要になった。本当にめんどうくさい。本人が気に入らなければ全部ハラスメント。気遣いとハラスメントは紙一重の世の中。某牛丼チェーンのお偉いさんが言ってた「生娘しゃぶ漬け」みたいな、一発アウト発言はよほどのお馬鹿さんか頭の緩くなったご老人じゃないと出ない。ヤバイ人が駆逐されていくのは仕方ないとして、それ以外は何度もハラスメントがあったと告げ口されるパターンだと思っている。ハラスメントを受けた側は1回や2回で声を上げるわけじゃなく長い間溜まってきてから爆発するものだから余程気を付けないといけない。今回がセーフと思っても次回はアウトかも知れない。おおげさかも知れないけど、社内研修の数の多さと言ったらウンザリするくらいなので、SNSでチクられると会社のイメージを損なうから敏感なんだと思う。

こんな状況で会社でともだちを作るとか想像もできない。どれだけ仲良くなったとしても何もかもわきまえた同僚以上にはなれない。


可能性は会社の外だ。でも、無関係の人にどうやって声をかけたらいいか分からない。

家族を置いて自分だけ遊びに行く?

子供が小さい頃なんて全く時間が無かった。仕事も忙しいし子育ては大変だしとりあえず毎日を過ごすだけでお腹いっぱい。今はそれ程ではなくなったけれど、自分で何をしたら良いか良くわからなくなってしまう。子供たちがもっと大きくなって自分勝手に遊びに行くようになったら自分も一人でどこかに出かけるのだろうか。。。

今もこれからも友達と遊んでくるなんて言う機会は生まれないように思う。家族から文句も言われたくないし、家でゲームしてるくらいの方が気楽でいい。休みの日まで気を使うなんて考えたくもないから。

ともだちを見つけるのは、じぶんを見つめること

私はきっと通勤電車で同じ人を見かける事に安心しているように感じる。全くの他人なのに同じ電車に揺られている。毎日、毎日。何とも当たり前で不可思議な事。毎朝合う掃除のおばさんに挨拶したり、コンビニで同じお兄さんを見かけたり、そういうので心を満たしお腹いっぱいになっている自分がいる。同じように頑張ってるって思うだけで少し元気を貰える。

ともだちを見つけるのは、じぶんを見つめる という事なのかも知れない。それはひどく億劫で目をそらしたい事なのだけど、それができれば、他の人を自分の理想に合わせずに正しい姿で相手を見る事ができるんじゃないかな。そうすればともだちになれそうな人を見つける事ができるかも知れない。不惑の年代でも迷ってばかりだな。

 

 

おしまい。