怪しいけど信じる、怪しくないけど信じない。

怪しいサイトを決める判断

とある通販サイトについて、アメリカでもサービスやっているから安全だと知人が言う。自分は安全と信じていないので、「へぇ、そうなんだー」と言って受け流した。
信じる信じないというのは個人ごとの基準で一種の宗教だ。通販サイトに対して人間の信仰が入り込んでいるような気がして何とも表現し難い気持ちになった。
誰でも便利で快適な生活を送るためにネット上のサービスを使う必要があるけれど、そのサービスを信じる基準って何かと言われたら… 有名だから、みんなが使っているから、おそらく有名な会社が運営しているかが信仰の対象になっている。

信仰の深さのばらつき
個人ごとに安全や危険に対する許容度が大きく違う。それによって信仰の度合いも変わる。問題が頻発することは論外だが、問題が起きても許容できる範囲というのが信仰の深さに繋がっている。その後のフォローがしっかりしているなら信仰は深くなり。フォローやサポートが悪いと信仰は浅くなる。
Amazonを使っていて大きなトラブルはほとんどない。が、小さな問題が起きた時、primeの商品ではなかったので返金対応まではされなかった(おそらく誤配送で別の人の所に届いたと思われる。)まぁ、少額だった事もあり面倒くさくなって諦めてしまったというのもある。それから可能な限りprimeの商品を選ぶようにはなってしまった。ある面では信仰が深まったようにも感じる。

多くの人が使っていて、大きなトラブルを聞いた事がないのであれば、そのサービスは安全だった思えてしまう。さらに自分が利用して問題がなければ更に信仰は高まる。
でも、たまたま問題なかったのか、本当に問題が起こらないかなんて数回のやり取りではわかるはずもないし、リスクの高い商品には当たりはずれもあるだろう。


不信感を芽生えさせる広告
そして、直接的なサービスから少し外れた場所にリスクは見え隠れする。
例えば楽天もAmazonもちょっと商品を眺めただけで、すかさずその商品のレコメンばかりになってしまう。別に表示してくれって頼んだ覚えもないのだけど。
それが信用に値する振る舞いなのか?と問われると、答えはノー。信仰心は大きく失われていく。お前この商品好きだろ?って聞かれるみたいなもので、あまり気持ちの良いものではない。と思えるのは今のうちかもしれない。

AIは自分の趣味思考に近づき不信感をぬぐい、信仰心を高める流れにシフトしていくんじゃないかと思う。さりげなく、なにげなく、本当に必要なものを気の利く形で差し出してくるかもしれない。

 

怪しくないけど信じない

Microsoft、Google、Apple、Amazon 名だたる企業に対して怪しいとは思わない。でも、信じているかと言われたら信じてはいない。すべてを委ねられるような信仰は持ち合わせていない。契約に基づいてサービスを提供していて怪しい事をしていないのでサービスを利用している。何かあっても直接的な被害を少なくするようにしてできれば、信仰がなくともサービスを利用できる。とは言え、メールやら写真やら首根っこを掴まれている状態なので偉そうなことは言えないけど。

どんなサービスも良い面と悪い面があって、両方を天秤にかけて利用できるのであれば、問題ない。しかしサービスを信頼し信仰してしまうと、トラブルがあった時のダメージは大きくなる。常に自分は信仰によらず客観的にサービスを評価できているか、考え続けないといけない。

怪しい気がするが、ここまでならセーフ 怪しくなさそうだけど、ここからはアウトという一般常識や自分の勘を信じてサービスを利用していく必要がある時代だ。

 

おしまい。