きっと、ポジティブに生きようとするからポジティブになれない

そのポジティブはどこから来たの?

意識高い系の人のツイッターとかブログとか眺めていて、へー、フーンと思いながら眺めているのですが、賛辞を投げかける人たちの中に信者だろうなと雰囲気でわかる人たちもいるのです。成功するとか、成長するとか、出会いに感謝とか…ポジティブに拘る事が自分にとって自然で喜ばしい事なのか、立ち止まって考える必要があると。子供の成長と同じようにに純粋な気持ちでいられるのかなと思うんです。

どんだけ変わりたいんだよ!と言いたくなるくらい、日々の生活の中で見かけるライフハックを見かけます。ポジティブに感謝を表明している人の大半は間違いなく言われた事を実践していないのだろうと思います。(個人的な見解)

 

変わるためにはポジティブに生きる必要がある

世の中がどんどん変化していて。それは携帯がスマホに変わるような、車が自動で動くようになるような、AIが発達して便利になるような・・・世の中の変化やムーブメントは分かる。分かるけど、そういう所は人々の中にジワリジワリと変わっていくものだから5年、10年たって大きな変化だったと気づくと思うんです。そうじゃなくて、身近な出来事での変化はリアルタイムに明確に変わった事がわかります。仲の良かった同僚が退職したり、長期の仕事に終わりが見えたり、知り合いが妊娠したり、子供が大きくなったり、近しい人が亡くなったり。他人のイベントと捉えていた事が、実は自分が変わるためのトリガーだという事に気付かされるのです。簡単に言えば歳のせいなんだけど。 

他人は変わったけど自分はどうかな?自分も何か変わらなきゃ置いてかれちゃうんじゃないか。あぁ、自分だけが取り残されてしまう。そこまでいうとオーバーだけど、何かが変わる度に自分も変わるタイミングなんだなと思うしかなくなっている。今がいくら安定していても、回りが安定しているからに過ぎないんだから。いくら硬い地盤だと思っても実は浮島かも知れないのだから。止まっていたいという気持ちを抑えてポジティブに変化を楽しむしかないじゃないか。

 

変わっているのか変えられているのか

子供の頃を振り返ってみると流行り廃りのサイクルが速くて、流行りに得意な方が学校で人気者になれたし人気のゲームやスポーツも次々変わってた。それが何の違和感もなかったけど、ついていくのがしんどいと思う事もあったなぁ。今考えると、ついていけないと損をするから頑張ってたって部分もあったんだよなぁ。今考えるとちっぽけな損得で無理するって本当にもったいない。

 いろんな人の変化に追い付こうとしてると、追い付く事に一生懸命になって、コントロールがシビアになってるように思うんです。車のハンドルにほとんど遊びが無くて、いつも気を抜けない運転になっているような。毎日、気付きに感謝してる人たちは、そんなほど人の言葉に左右されるなんて、なんて忙しい毎日なんだろうと思います。(感謝するだけで実行しないから、暇かも知れません。(個人的な見解))

シビアなハンドル裁きは、自由な運転なんだろうか。それがカッコイイと思っても、一つの決まったルートを走る事を強要されてるんじゃないだろうか。

 

何もしなくても変わっていく。だから自分のフラットな場所を見つける。

時間と共に、止まることのない変化はしていて、何か自分で変わらないといけない事は間違いなくて、でも、無理して変わる必要はなくて必要な事を見極めて変わってた行けば良いはずなんです。無理やりポジティブにして生きるんじゃなくて、自分のフラットな場所を確かめながら生きるのが良いんじゃないかなと。

 フラットがあるからポジティブを認識できるはずなんです。長所がポジティブってのは、自分がどこかネガティブだって言っている事なんじゃないかな。本当に常にポジティブならそれは当たり前でフラットな状態だと思うんです。

出会いに感謝してSNSのいいねを押しながら、自分は誰かに誉められたい ってやってたら、自分が何者なのかどの位置にいるのか客観的に判断できなくなるように思います。有名人にはポジティブ過ぎて規格外の方もいますが、恐らくそれがフラットな状態なんだと思います。(明石家さんまさんとか)何かに挑戦している状態、何かと戦っている状態がフラットなのでしょう。凡人が張り合ったところで土俵が違いすぎます。

 

ポジティブになりすぎたら、本当の自分に近い所まで降りてきて、バランスをとった方が良いと思います。もしくはリセット。そうしないと、自分でもフラットな状態がわからなくなってしまうからです。ネガティブな発言やろくでもない事を言う・・・人に対して言わなくても、そういう自分がいる事を再認識した方が良いと思います。片方だけしか持たない人なんていないはずなんだから、上に下に揺れながら自分のフラットな所を大事にしましょう。

 

 間違ったポジティブの罪

 チョット気になった記事です。

中田敦彦 方針変更!「良い夫」やめました | 中田敦彦 HUMANアップデート中 | 日経DUAL

 

「すごいよ、オレ!」「妻からのニーズにすべて応えられる状況が完成した」「完全な勝利だ!」と自信満々でした。

 

よそのご家庭の事情なので、あれこれ言えることはないのだけど、こういう事を言えちゃうところがいろんな意味で凄いなーと思いました。良い夫や良い父親として頑張られていたようで、平凡なサラリーマンの親父とは違って、金も稼ぐし家の事もやるとか、そりゃ完璧にこなしてきたとか言えちゃうのかも知れません。自分と比べたらスゲー。到底かなわないなぁ。(この記事に対して鋭いご意見を書かれていたブログもありました。)

 

それはさておき、他人を気にしたポジティブを突き詰めるとバカになれるという事を端的に表しているように思います。他人の目や奥さんの目を気にしながら自己解決でポジティブになった所で最悪の結末しか待っていないという事だと。

 

自分がフラットだと思う場所、自分がやりたいと感じるポジティブな事…自分本位かも知れないけれど、自分がやりたいと思われないポジティブやライフハックは単なる心の枷にしかならないような気がしてなりません。自分もそういう所があるから気を付けていこうと思うのです。

 

 

 

おしまい。