簡単と判断する事は難しいのかも知れない

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「夫が妻に対して簡単な夕食として、とんかつや餃子をあげた」という笑えない話なのですが、結構ありがちな話だと思いました。影の苦労は理解されにくいという事なのだと思います。

 

この記事に出てくる「簡単なもの」の中で、とんかつや餃子、カレーなどは、お昼の食堂や定食屋で食べられるものの代名詞なのではないかなと思いました。オッサン向けのランチは、如何に早く捌くことができるのかを競う・・・まさに戦場です。コンベアに乗せられているかのように素早く運ばれてくるランチは短い休み時間を有意義に使うためには必須であり、流れ作業で作られるが故に値段もリーズナブルになっています。あの光景を見ていたら、簡単だと錯覚しているお馬鹿さんがいても仕方が無いかもしれません。興味がないから店側の工夫の上に成り立っているという事もわからないのでしょう。

突き詰めていくと牛丼チェーンなんてすごいですよね。注文してすぐに出てくる。牛丼を家で作ろうと思うと、それなりの時間もかかるし値段も上がります。恐らく牛丼屋で買った方が安く上がるに違いないでしょう。

 

私は自炊力ゼロではありませんが、かなり長い間自炊はしていません。ごくたまにパスタやカレーを作る程度しかできません。それでも料理って面倒だなーと思います。毎日作ってくれる奥様に感謝感謝です。

 

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とんかつだって、餃子だって、食材が必要な事は分かるし、調理が必要な事も明白なのですが、最後の見せ場?(トンカツなら揚げる、餃子なら焼く)がフォーカスされる事により下ごしらえの部分を軽視しがちだと思います。また、料理人はともかく、妻や母の事を「この人は料理が得意である」と判断した場合、得意なんだから簡単にできると誤認してしまうように思います。得意であっても手間がかかるものは手間がかかるわけで簡単なわけではありません。

 

自分に興味がない事や他人に依存している事に対しては、どうしてもその労力について正確に判断する事が難しいように感じます。いくら手の込んだ料理を作っても、それに時間がかかる事を知っていなければ、その労力を正しく評価する事ができません。(※料理は美味しい事が必要なので、労力と価値のバランスが取れない場合もあります。)また、個人の向き不向きが大きな判断基準となると考えます。料理人であっても和食の料理人に中華料理を作らせたらそれほど簡単にはいかないでしょう。結局、夫婦であっても、いつも一緒に食事を作り、向き不向きを知っていなければ、簡単の基準が揃うことはないと思います。もちろんカップラーメンを作るというレベルであれば誰とでも同じ基準で判断できると思うので、夫婦の形によってはもっと高いレベルで共通認識が持てる場合も多いと思います。

 

 

同様の事は家事全般だけでなく、仕事や趣味においても該当すると思います。どれだけ手間がかかっていても、結果だけ見たら「こんな簡単な事は俺でもできる。」と考えてしまう部分はどうしても有ると思います。自分だけがそのように考える事は特に問題ないと思いますが、他の人に話す場合は考え方を変える必要が有ると思います。自分の代わりにやってくれた人の向き不向きや力量により簡単かそうでないかが決まってしまうので、自分基準の「簡単」を押し付けてしまってはいけないという事だと思うのです。自分でやってみたら、想像していたものとは全然違う大変さを見つける事もある事もあるでしょうし。頼んだ人に「簡単だと思ったから頼んだんだ」なんて言葉は言わないように気を付けないといけないですね。

 

 

と、ここまで書いておきながら、結果だけを求めるのであれば、「とんかつや餃子を作る最も簡単な方法は冷凍食品を温めるという方法」もあると思うのです。作る側も作って貰う側も合意できるのであれば、時間がかかる事を簡単にする方法は見つかるような気もします。家事や仕事において、その人のやり方を簡単かそうでないかで値踏みするだけではなく、 違うやり方を一緒に相談できたなら新しい発見があるかも知れません。

 

 

 

 おしまい。