個人の成果とチームの成果


チームの成果は「有能な人」ではなく、「最も無能な人」に依存する。 | Books&Apps

 

タイトルに引かれて、この記事を読みました。どんな組織でも「足を引っ張る人」はいるものです。言うなれば場違いな人。

それは場所を間違えているだけで、その場所では力を発揮できなくとも、力を発揮できる場所があるはずだから、そちらに移動した方が、本人を含めたみんなが幸せなになるのにな~と考えています。個人の能力に対する評価は、その場で必要とされるスキルによって変わるものなので、一概に能力が高いという言葉で括る事は意味がないと思っています。例えばマラソンランナーに簿記の資格は不要であるように。

もちろん、それが自分自身にも当てはまります。頑張ればなんとかなる話なのか、蓄積や経験がものをいう場所なのか、短期決戦なのか長期攻略といった期間的な影響、更にはその場の空気がアットホームなのかピリピリしているのかと言った感覚的なものまで色々な要因で足を引っ張る側に回る可能性はあると思っています。

必要な能力場ビシッと決まっていれば話は簡単なわけで、RPGのように勇者や戦士、僧侶、魔法使いがいて相互に補完出来れば強いパーティになれるでしょう。それであっても腰抜け戦士であったり、魔法が苦手な魔法使いでは場違いになるため最低ラインの能力の見極めは重要だと思います。

 

チームの成果の方が大きい事はわかっているけれど

会社の一場面であれば、余っているメンバーによって編成される寄せ集めチームや、パワーバランスという目に見えない力で作られるチームなどチームの生い立ちは様々です。チームの体をなすようにチームリーダは頑張って人を集めると思いますが、どんな場面でも最初からベストメンバーを決める事が難しい上に、決めたメンバーが参加してくれるかどうかもわかりません。更に言えば、ベストメンバーであったか否かは結果が出た時点でしか分からないという所があります。

 引用させていた記事のタイトルの通り、

チームの成果は「有能な人」ではなく、「最も無能な人」に依存する。

 というのは私も経験した事があります。チームビルドすると直ぐに相互フォロー的な事を言う人が出てくるのですが、結果的にやらない人はやらないし、頑張る人だけで引っ張っていくような状況に陥ります。やらない人はフォローに甘えてしまう事で手抜きを覚えてしまうからです。しかし、嫌でもチームを編成されたからにはチームとしての成果も必要です。それでも「どうせあいつはやらないから、自分が頑張るしかない。」「あいつには期待しない。」という思いに駆られる事はしばしばあります。そうやってどんどんチームは疲弊し個人の成果(自分の仕事だけこなせばOK)という考え方に向かってしまうと思います。

 

能力不足を指摘する事が難しい

どうしてこのような事になるかと考えた時、誰の何がダメなのか(ボトルネックになるのか)をチームで共有できない事が問題なのだと思いました。能力不足をチームの前で指摘される事は苦痛であるため、誰もやろうとしません。自分から述べる事もしません。そうなると、いくらシステムや仕組みが整備されて行っても、得意な事は進んでやるが、苦手な事は後回しになり何も改善されて行かないという結果になります。個人の成果を伸ばす事は出来ても、間違いなくチームの成果は伸び悩みます。チームの強みは相互補完してナンボなので欠点を明確にしておく事が早期の対策や改善に繋がると思います。(残念ながら、自分の会社でやろうなんてとても言えないけど・・・)

 

終わりに

これまでの話はある程度の基礎能力が備わっている前提の話であって、全くの場違いであるならばさっさと退場してもらう事が個人の成果もチームの成果も出せる事になると思います。どの場面においても採用面接から始まっている事なので、当たり前と言えば当たり前かも知れません。どうも会社にいると仕事は与えられるものという感覚に陥るので、オマエ、ツカエナイカラ、イラナイと言われる前に何が得意で、何が苦手であるか棚卸をしておく必要が有るとヒシヒシと感じるのです。

 

 

おしまい。