「まじめに仕事してきた」という声が一掃される世の中

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私はベンダー系SEの端くれとして仕事をしていますが、技術者と言えないほど技術から離れてしまいました。

下品に言えば、お客様の御用聞き。
それっぽく言えばプロジェクトのリーダー。

組織の流れにのって管理側の人間になる(昇進する)事は給料を上げるという意味では正しいです。でも、私は技術職として入社したはずだったのに、技術とはあまりにもかけ離れてしまいました。

技術力もなくこの会社を離れたら、どうなってしまうんだろう?
そんな心配が目の前に降りてきて自分の足をすくませるのです。

もちろん、年齢相応のコミニュケーション能力や管理能力を育てた方が良いと分かっているのですが、自分には合わないんですよね・・・。合わないというのは甘えですが、社内でそれらの能力を育てたとしても、ほかの会社でその能力を同じように使えるとは思えないのです。(生かす事はできると思いますけど。)

60歳定年で走りきるだけだったら良かったのにな・・・
70歳までこの仕事で働くなんて考えられない・・・
そう思いながら、日々の仕事に追われて何も変わらない自分。

毎日、毎日、一生懸命働いていて、ちゃんと給料も貰っていたのだから、生きるために必要な事をやってきた自負はあります。当然、嫌な事や苦しい事を我慢して続けてきたからそれなりに評価もされました。
でも、人から与えられた仕事をまじめにやりすぎていたんじゃないか? と、ぼんやり思うのです。その姿はまるで、先生や親から怒られないように宿題をする小学生ではなかったかと。

会社に入っても与えられた仕事を無難にやれていれば良い評価はつけて貰えました。だから与えられた仕事をまじめにこなしてきました。それって意味ある?と思う事でも会社の指令ならまじめにやってきたのです。子供の頃から続いているまじめにやれば評価されると思って。「3つ子の魂、百まで」と言うけれど、子供の頃から刷り込まれて当たり前と思っている事は、なかなか変えられません。

それなのに、今の世の中は「その仕事を人間がやる必要ありますか?」と問われる時代になりました。この変化は「まじめに仕事してきた」という声を一掃させる変化だと思うのです。

結果と成果を混同していたのだろう、と私は感じています。


まじめに仕事をすれば結果を出せるけど、成果を出せるとは限りません。仕事は淡々と結果を積み上げていくものだけど、成果につながらないと先には進めないんです。
まじめにやった仕事がすべて成果になったというのなら、これほどロボットに置き換えられる人はいなかっただろうと思います。

努力が必ず報われるわけではないように、まじめが必ず報われるわけじゃないという事なのです。私を含め「与えられた事をまじめにやるしか、生き方を知らない」人間にはつらい世の中になってきたと思います。

これからは与えられた仕事に対しては少しでも手を抜く方法を考えて、自分から動く事を増やしていくしかないのだと思います。仮に余計な事をするなと叱責されても、自分で動く事を大事にしなければ、そのうちロボットに置き換えられてしまうから。

頭でわかっていても、そうそう変われるわけではないのですけどね。
70歳になる時、自分はどんな姿なのだろう。。。

 

 

おしまい。