凡人の生き方

Mr.Childrenが「生きるためのレシピなんてなーいさー」と歌っていたのだけど、世の中そういった類の本であふれているように思うのです。しかし、レシピのように再現性があるわけじゃなくて、レシピの皮を被ったエッセイに思えるものがたくさんあります。

 

普通の生活

いろいろなブログで普通の暮らしをするための情報が分析されているのですが、信頼がおけそうなブログは「普通の暮らしとは何ぞや?」を定義する所から始まります。一般的とか普通、平凡を定めるってそれなりに難しいって事なんですよね。

そうやって定義された普通に対して、ちょっと味付けを変える事で自分の生活と近いものとして考える事が出来ます。それは興味深い事や新たな発見もたくさんあるのですが、それを活かせていないのが実情です。

やらない理由として、

 俺とお前の事情は違うのだから + どーせ未来の事はわからんだろ

という意識が働いているように思います。ライフハックやノウハウだとしても、モチベーションを高める事が難しいのです。それは今の生活が今までの自分にとって最適化されているからに違いありません。何かを変えたいと思っても、最適化されている事をさっくり辞める事が出来るなんて考えられれないのです。

これでは、いつまで経ってもブログで紹介される普通の暮らしってできません。

 

計画的な生活
明日の一日をどうやって過ごすか・・・それくらいは考えた事があると思います。それは一日中、寝て居ようと決める事であっても、それは計画を立てる事ですし、行き当たりバッタリで町を散策しようと考える事も計画です。意思を持って何かをすれば、即ち計画を立てた事になる。完全な無計画なんてのは存在しないんじゃないかと思うのです。そのスパンが長いか短いかだけ。1年単位で考えるのか、1時間単位でしか考えないのか・・・。

 

平凡な人生を送るために必要なのは長期計画だと思います。
自分の決めた平凡と言うレールから外れないようなストーリー。行き当たりバッタリではどこかで平凡のレールから外れてしまう可能性が高いです。今の私であればリストラされたらどーしようとか、メンタルやられたらどうしようとか。

更に難しいのが、お金に対する考え方だと思います。少しでもお金を持っていた方が良いと思うのが平凡だと思うのですが、お金の動きを絶妙にコントロールする事は非常に難しい。いくら貯めるのか使うのかーという問いと同じくして、年齢が上がるにつれてお金の使い方に対するバラツキが大きくなるのです。大病をすれば、それにお金がかかるでしょうし、家族が成長すれば何にお金を使うのか変わってきてしまう。最後は自分で決めなくてはならないので、計画を立てるしか無くなります。平凡に生きたいのにしっかり計画を立てなきゃいけないってのは面倒くさいですね。

 

縛られた生活

毎日会社に通って、楽しくない仕事をこなす毎日・・・。常に首輪を付けられて縛られた生活を送っているのですが、平凡な人生を送るためには縛られている必要もあります。何も縛られずに生きる方法もあるはずなのだけど、自分で縛りを作った方が生きやすいという現実があります。自由奔放よりも無難に縛られた生活の方が都合が良いのです。誰かの依頼に応えなければならない。目標の達成や締切厳守も縛られる事です。それを守れなければ人間社会では生きづらい。他人が決めてくれた目標やルールにたいして完璧に応えられるのであれば、それはルールに縛られているように見えてもスーパーマンではないでしょうか?みんなスーパーマンにはなれない(なってはいけない)から自分への縛りを定めて他人から縛りやルールを受け付けないように防御していると思うのです。

 

平凡に生きるって、とても深いと思うのです。
意識高い系の話題も良いのだけど、平凡に生きる=自分の基準となる生き方を定める事が先決なんじゃないかなと思ったりするのです。もちろん基準は年ごとに上がっても下がっても良いと思います。いくら平凡生活はしたくない言っても一足飛びで平凡じゃなくなるわけではないのだから。むしろ、平凡な生活が何か分からないのに平凡じゃない生活なんてできっこないですよね。

 

国民総中流世代ではなくなったのだけど、自分は平凡な生活を目指して明日も会社に行こうと思うのです。

 

おしまい。