子供たちのおとうさん

f:id:natsuno_sora:20190615234157j:plain

今週のお題「おとうさん」

 

私は自分の父をおとうさんと呼んだ記憶はありません。
6歳の時に親が離婚して父は家を出たので父親がいるという記憶は無いに等しいのです。母が言うには子煩悩な良い父親だったらしいのだけど、全く記憶が無いので思い出しようもありません。その頃の写真もどこにあるかさえ分からないですし。
悲しいかな唯一覚えているのは、離婚協議のため子供たちにどちらについていくかを問われていた時の事。母にしがみついて激しい言い争いをやり過ごした事だけが強く印象に残っています。

 

父はいなくなりましたが、母は昼はフルタイムで働き、夜は皿洗いのバイトし家計を維持してくれたおかげで人並の生活を送る事が出来ました。まさに父と母の両方の仕事をこなしてくれたからです。自分の子供があの頃の自分と同じくらいの歳になって、自分があの頃の母と同じくらいの年齢になって、母の気持ちがちょっとだけ分かるような気がします。子供の頃から自分は思っていたのは、「親は無くとも子は育つと言えないけれど、父親がいなくとも育つことはできる。」という事。母に苦労をさせた事は間違いないのだけど、大人になって自分で給料を稼ぎ、家庭を持つまでになりました。人それぞれ環境が違うので、私は運が良かったとしか言えないのだけど、母の頑張りが運を引き寄せてくれたのだと思い感謝するばかりです。

今は自分が二人の子供の父親です。自分の子供たちに何をしてやれるのだろうかーという偉そうな事はたまにしか考えていなくて、大半は子供の頃は父と遊ぶことが出来なかったので一緒に遊んであげたいかなと思うくらいです。それでも小言を言ったり、疲れていて子供と遊べなかったりするのですが・・・。40代ともなると体が動きません。
自分に父親がいたらどう変わっていたかなんて分かりません。それを考える必要もないと思うのだけど、幼い頃だけとは言え自分を育ててくれた父親に感謝しようと思うばかりです。

私の父はいつの間にか亡くなっていました。教えられたのは無くなってから2年後の事でした。というのも母親が内緒にしていたからです(母も親戚から伝え聞いたようです)。私は子供の頃、父親の事をひどく嫌っていたようで、母にはその頃の記憶が強く残っていたため、余計な事は言わない方が良いと判断したようです。ちょっと複雑な気分になりましたが、そこまででした。30年以上もあっていない人の事をあれこれ考えても仕方ないしもう会える可能性も無いのだから。


私には父親のお手本がありません。
しかし自分の事を父親として頼りにしてくれる子供たちがいます。不甲斐ない父親かも知れないけれど、良いお父さんだったと言われるように子供たちと接し、一つでも多く記憶に残してあげられるようにしたい。自分がいなくとも子は育つと思うからこそ、自分がいた方が楽しかったと思わせてあげたいと思うのです。


おしまい。