普通の大人になったと思う

f:id:natsuno_sora:20200912144117j:plain

子供の頃、早く大人になりたかった

早く大人になりたい。

そう思っていたのはいつだっただろうか。

後付けの理由ならいくらでも思いつくけれど、本当に考えていたことは「自由に生きたい」だけだったと思う。

 

四十にして惑わず。

正直、四十代になってもそんな事はないし、自分の観測範囲では道に迷っていないおじさんを見つける方が難しい。

 

子供の頃に想像した大人にはなっていないけど、自分も歳月を経て大人になったから、こんな大人になってしまった理由はそれなりに気づいている。

まだ昭和が終わらない頃、漠然と「お金を稼げる大人になりたい」と思っていた事を覚えている。さっさと仕事をしてお金を貰って自由に使いたいと思ったから。その考えは的外れではないけれど、そんなに簡単な話でもなかったと30年以上たった自分が答えを示している。

 

大人になっていく過程で、大人とは想像していたよりも単純でいい加減で優しいものだと分かったけれど、いったんテンプレートから外れると、たやすくテンプレートに戻れない危うさがある事にも気づいた。そのテンプレートは環境ごとに存在していて、テンプレートから外れてしまった場合、入りなおす事は難しい。

 

長い時間をかけて「大人らしく」というテンプレートによって大人っぽく生きる事の正しさに洗脳されたのだと思う。それが不幸だとは思わないけれど、洗脳されずテンプレートに嵌らずに生きている人たちを見て、大人として劣っているというレッテルを貼るような人間にはなりたくないと心の中で思っていた。が、本当の所はレッテルを貼るような人間になってしまったと思う。歳を取ると自分の人生を肯定したくなる。

 

普通の大人になれたと思う

いざ歳をとってみるとテンプレートによって洗脳された自分は、それなりに安定した職に就き、結婚し、子供がいるという人生を振り返って「大人として必要なイベントはクリアしたかな」と思うし、「ありきたりな喜び」を見つけたように思ってる。だから結婚は良いものだと思うし、子供がいる事も良いものだと思うから、その努力をしない人を残念だと思ってしまう。他人に押し付ける事は絶対にないから、誰にも迷惑をかけないとは思うけれど。

 

自分の意思で人生を選んだとは言え、親や社会が与えたテンプレートに従いクエストをコンプリートしてほっとしているようにも思う。自分らしく人生とは何か、自然体で生きるとはどんな生活なのか…そんなものは分からなかったし、今は現実の方が大切だ。

子供たちはかわいいし今の生活を続けられるなら人並みの生活に困る事はない。

 

子供のころ想像した大人にはならなかったけれど、テンプレートにハマった普通の大人にはなったように思う。良い悪いじゃなく現実的にそうなったし、大きな不幸を背負っていなかった事はラッキーだったとしか言えない。片親で育った事も今となれば大した不幸ではなかった。

 

大人の次は・・・

さて、この先は子供の頃に想像していなかった老人だ。


子供のころは想像できなかった老人。今なら親の姿を見ながらなんとなく想像できるけど。一人で生きる事の難しさ、体が動かなくなることの不自由さ、すべてが面倒だと感じてしまう柔軟性のなさ…。正直、想像したくないしそんな日が来なければいいと思ってしまう。でもそういうわけにはいかないんだよな。

 

そして、想像したとおりにならないのが人生って事もわかってる。
むしろこれからはテンプレートを決めて生きる事の方が難しい世の中になっている気もする。子供の頃に想像した自由とは全く違うけれど、悩み、迷う事ができるのが自由なんだろう。きっと。だから変わらない日々だとしても、今日を頑張ろう。

 

 

 

おしまい。