季節は自分で見つけるものになった

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あけましておめでとうございます

 

今年の年明けは、とても穏やかでした。

実家には行っていないし親戚も遊びにこないので私の周りは普通の連休と大差ない感覚でした。これも新しい生活様式なのだろうと思います。穏やかである反面、季節の変わり目や年の変わり目という暦の変化も誰かに作ってもらっていたことを感じました。

 

季節の変わり目を宣言して欲しい

最近は季節の変わり目さえもはっきりとしません。急に寒くなったと思ったら春の日差しを感じる冬であったり、天気の冴えない夏だったり。さらに、テレワークによる自宅生活のために外出した時の変化を受けとりにくくなった事も影響しています。ですが、季節の変わり目がハッキリしなくとも、町に出れば衣替えを意識した洋服を売っているし季節に合わせた家電の特売をしているわけで、否応なしに季節や季節に合わせたイベントを意識させられていたと言っても良いでしょう。 

 

密になるイベントが季節を感じさせる

トリガーとなるような密になるイベント=お祭り騒ぎはネットの中に押し込められ、リアルな現場はソーシャルディスタンスの確保を優先のルールとしたものに置き換えられました。だれもがコロナ対策と分かっていても、むしろコロナ対策が正しく行われているほど距離を取り小声で話す姿を見せつけられる事になり、「本当はやりたくない人が混じってるよね?」とツッコミが入る事になると思います。全員が一丸となってコロナのリスクを背負ってまでやりたいイベントってあまり考えられません。(金儲けのため、生活のためと言われたら納得しますけどね。)

私の中では「かわいそう」が最初の感想がになってしまうので、コロナが終息するまではお祭り騒ぎを純粋に楽しむ事はできないだろうと思います。主催者が本当はやるべきではなかったけど恒例行事は無くせないから…という言い訳を前面に出しながらの映像は工夫したなぁという第一印象になってしまいます。これで感染者が出たら責められるだろうな~とかね。

 

街中で現れるお祭り騒ぎは自分に無関係なものであっても目に入るし季節を感じさせます。参加する事の無い町内会のお祭りの広告でさえ夏を感じさせるきっかけの一つです。それが簡素なものになってしまう事で目に入らなくなり、心にも留まらないまま季節は変わってしまって・・・気づいたら新しい年になっていました。

コロナに気を使ってしまえば気合を感じるような広告は出せないでしょう。程よく集まって程よく楽しむなんて祭の本質ではないからです。祭はアホになって参加してこそ祭りなのですから。コロナでアホになれないなら楽しめないですよね。

 

自分で考え行動するのがコロナ禍の生活様式

自分の一年は他者に作って貰っていたと考えると、春には桜、夏には山や海、秋には紅葉、冬には雪を…何にしろ自分で刺激を受けるように生活する必要があります。でも密になるイベントなんですよね。コロナを避けるためという前提は必要だから、小さなイベントや家族だけで季節を感じられるように工夫をする必要があります。そのためには季節を先取りして祭になる前に行動する必要です。人が作るイベントを待つのではなく自分でイベントを考えて行動する必要が。

 

コロナ禍は自分で考え、自分の行動を決める事が重要だと思います。
トレンドにのる事がコロナのトレンドに乗る事にならないように。

2021年はカレンダーを見ながら季節の移り変わりを意識して、コロナのせいで何もできなかったとは言わないように動いていけるようにしたいと思います。

 

 

おしまい。