チャレンジではなくて緻密な戦略を

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チャレンジと安定稼働

会社は大きな声を上げる。「同じ事を続けていても勝てないぞ。新しい事にチャレンジしろ!」って。下手したら何十年も前から聞こえてきた事なのに、今まで浸透する事はありませんでした。遠くの方で大きな声が聞こえていながら、現場のマネージャーは小さな声で トラブルは起こすな、余計な事はするな、良かれと思ってやるな と言い続けてきた。同じ事を丁寧に続けていくことで洗練されて効率化ができる。一昔前であればそれが正しい姿であったし投資をしてまで効率化する事は常識的ではなかったから、現場で何とかしろという声に対して現場の気力とだけで解決してきたと思う。

今は人間が定型的にやる仕事の多くが無駄・非効率と判断される事が増えてタチの悪い空気だれど。 

 

それは矛盾じゃない。立場の違い

チャレンジする事と安定稼働する事は矛盾している事が多い。前例を踏襲し手堅い仕事をした方が安定稼働するに決まっているのだから、両方を求められるのは筋違いなんだけど。

仕事では矛盾を抱えている事が多い。理由の多くは異なる人から指令が来るからだと理解している。先にネゴしておいてくれよ…と言いたくなる事は多いけれどイチイチ言うのも面倒臭い。要は尖らず丸めて双方に都合の良いように結果を出せばいいのだから。

困るのは1人の上司が完全に矛盾する指示をする場合。多くの場合にそれを指摘すると、そういう事じゃない。うまくやれって言われてしまう。上司も更に上の上司から指示を受けていて、色々な部門から指示が来てしまうから全体として辻褄が合わなくなってしまっているのだと分かっている。個々は道理が通っているから指示がおかしいと言えずにいる。(それを考えるのがキミの仕事って言われる胃が痛いやつ)

風通しの悪い縦割り組織だと、現場に対して矛盾した指示になる事が理解できていない。「私はあなたに指示を出しましたが、他の人から言われている指示なんて知りませんよ」って顔されてしまうから。

 

チャレンジという言葉の呪縛

案件獲得のためチャレンジを求められる事があるのだけど、お客さんはチャレンジを求めていないのに自分の会社がチャレンジって言ってるのはちょっと滑稽でもある。どんなお客さんだって業者にチャレンジなんてして欲しくない。チャレンジしなければならないお客さんは、自分たちのためにチャレンジするわけで。

業者は言ったことを間違いなくやってくれれば良いと思っている。
(それは良い提案をしてくれという事も含まれる)

しかし私は失敗して良いチャレンジに出会った事は、まだない。チャレンジって100点を目指す事じゃなくて70点とか80点とか失敗を認める事だと思うんだよね。失敗から経験を得る事が目的。チャレンジして経験を得る事がプライスレス。
チャレンジが成功した事を喜び、褒め称えることはチャレンジャーを増やし鼓舞するために必要だとは思うのだけど多くの失敗があった事を認め許容できる事を示さなければ、真の意味でのチャレンジなんてできないと思うんだよな。
チャレンジの失敗は泥沼のプロジェクトになり火消し要員の大量投入とデスマーチ。失敗する事が許されているなんて言えるわけもない。

 

企業活動だから利益優先なのは間違い無いのだけど、失敗を許さない、許されないチャレンジはいつも通りやるしかないって事になってしまう。

期間が短いから、予算が少ないから、人員が集まらないから、初モノだから。懸念要素やリスクが高いからチャレンジなんだと言われるのなら、そんな危ない仕事をやらない方がマシ。勝ち筋の見えない仕事なんてやらない方がいい。

 お客さんの金使ってチャレンジって言っている時点でチャレンジにはなり得ないと気づいて欲しい。それはただの制約の厳しいプロジェクト。ちゃんと戦略を練ってリスクも考慮して耐性も整える。そこまでやってお客さんにも安心して提供できる状態にしてから始めた方が間違いがない。

 

数々の失敗に学ぶべき

システム構築で無駄金を使った話は枚挙にいとまがない。セブンイレブンの7payしかり京都市のシステム再構築しかり…。チャレンジに失敗したって片付けられる?絶対そんなわけにはいかない。最終的には取りやめ(無駄金)になった事は英断だったしチャレンジだったと本気で言えるなら良かったかもしれない。

ビジネスでチャレンジとなると誰かに迷惑をかけられないっていう当たり前の事を反故にしないで欲しい。緻密な戦略で仕事を完全攻略する方がよほどチャレンジのような気がしている。安いにチャレンジには高い代償が付いてまわるのだから。

 

おしまい。